「私の帰すべきこと」(3) † 愛される責任。 愛される。と言うことは、自らの自発性ではなく、愛することを選んだ人格の意志によってもたらされるものだ。ゆえに「私は愛されるべき者である」と言う自覚や根拠を自らのうちに持たな
「私の帰すべきこと」(2)
「私の帰すべきこと」(2) † 初めが肝心。 初めに失敗があると、後が上手く行かない。それで初めが大事(肝心)なのである。何かに取りかかろうとするなら、その段取り(工程)を正確に定める。人間が人生について考える時期は、大
「私の帰すべきこと」(1)
「私の帰すべきこと」(1) † 自分に帰する間違い。 「イエスは答えられた。『わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。』・・」ヨハネ8・58)主イ
「私の帰すべきこと」(1)
† 自分に帰する間違い。 「イエスは答えられた。『わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。』・・」ヨハネ8・58)主イエス様の生涯の目的は、ご自身
「果たすべき事」(7)
「果たすべき事」(7) † 今からの最重要。 「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい」エペソ6・10)使徒が最後に言い残す言葉ほど、重みのある言葉は無い。原文直訳では「最後に、主に在って、ま
「果たすべき事」(6)
「果たすべき事」(6) † 知ることに進む。 「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」伝道1・18)人生は、知恵と知識で憂いの多いものになるのか? 知恵者(ソロモン)は、無知や、愚かである方が
果たすべき事」(5)
果たすべき事」(5) † 励ましの言葉。 牧師は人々を励ます務めを持っている。特に、苦しみや悲しみの中にある人、戦いの中にある人を、見過ごしてはならない。「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励
「果たすべき事」(4)
「果たすべき事」(4) † 自分へのおもねり。 「おもねり」とは、へつらうことで「自分におもねる」とは、自分に都合良く振る舞うことである。主イエスは群集には厳しく言われないが、身近な使徒達にはそうではなかった。中でも、
「果たすべき事」(3)
† 聞き従う事にある。 自由意志を生きられる幸いを感じない人はいないだろう。それだからこそ、私は多くの反対にあったが、キリスト者となれた。これが、前世代の環境(戦前)だと、難しいと感じる。イスラエル民族は、神によって造ら
「果たすべき事」(2)
「果たすべき事」(2) † 自らのため信ず。 救い主イエスは初めに「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11・28)と、招かれた。個々の人間自身が