「傾向性への警戒」(3) † 知り尽くされている。 最も安心なのは、主なる神が私達を知り尽くしておられる事である。「あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます」詩139・2)安心し
「傾向性への警戒」(2)
「傾向性への警戒」(2) † ただ健全に向かう。 主イエスを信じたら、何が始まるのか?喜びと、真理の自由の生活が始まる。主イエスを信じて、初めて気づいたことは「感謝」することが、生活の中に生まれたことだった。信仰の初めは
「傾向性への警戒」(1)
「傾向性への警戒」(1) † 自らの傾向を知る。 高齢者運転免許講習が、先日の午前、K自動車学校で行われた。高齢者の運転には傾向性があり、それが危険を伴うからだ。高齢者は運動神経が衰え、視界も狭く、夜には視力が届かない。
「光りの子供らしく」(7)
「光りの子供らしく」(7) † 最も高きところへ。 無理難題のことではなく、至極当然な、光りの子供の高嶺のことである。「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」エペソ2・6
「光りの子供らしく」(6)
「光りの子供らしく」(6) † 御足の跡を歩む恵み。 私達は「光りの子供」として自認し、生きる事を求められている。主イエスのように(歩まれたように)歩む事を願っているから、光りの子供「らしい」のである。主イエスの足跡は消
「光りの子供らしく」(5)
「光りの子供らしく」(5) † 恐れない訓練。 「自分自身を知る」と言うことは簡単ではない。幼い時にはほとんど自分の事がわからないままだ。少年となり、ようやく友達と違う自分について、気づき始める。それも、人によっては、
「光りの子供らしく」(4)
「光りの子供らしく」(4) † 日常の必須。 何かに係わる事とは、どう言うことだろう?それが喜びである。または、面倒なこと。に分かれる。先日も、ある方が3週間、犬をあずかったそうである。娘の愛犬だったのでやむを得ない。こ
「光りの子供らしく」(3)
「光りの子供らしく」(3) † まかせる勇気。 野球の監督が、経験の浅い新人を起用する時、ベテランの選手がいることを思えば、大きな賭でもある。エラーをしたり、チャンスにヒットを打てず、チームが負けるリスクがある。職場でも
「光りの子供らしく」(2)
「光りの子供らしく」(2) † 単純明快なこと。 光りの子供には、光りの父がいる。同類同質であることを理解できなければならない。でないと「光りの子供らしく」という事の本質を歪めてしまうからである。「弟子はその師にまさらず
「光りの子供らしく」(1)
「光りの子供らしく」(1) † 自覚を持って歩む。 「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい」エペソ5・8)2017訳では「光りの子供として」となっている。「・