† 目立つことの生活。 人間である以上は「存在」である。どのような存在なのかが大事になる。人間の関心は自己自身にあることは当然である。自分が見向きもされない存在と、思うだけで、いたたまれないことにもなる。しかし、真実は
「身近で見えないもの」(3)
† 見えないは関心ないこと? 関心があることには、目も耳も共にある。それが人間というものである。伝道とは、単に福音を伝える事ではなく、その相手の人に、如何に福音への関心をもたせるかが大切である。そのためには自らが、福音
「身近で見えないもの」(2)
† 当たり前のもの。 当然として意に介さないでいるものは多いと思う。毎日の食事を神からの糧として、真心からの感謝の祈りをしているのか?たぶん祈りは「付け足し」程度のものではないだろうか?食品は金銭で買えるものとして、主
「身近で見えないもの」(1)
† あわてふためく。 良くあることで、血の気が引くような思いをする時とは?それは、ここに在ると思い込んでいたのに、見当たらない時だ。どこなのだ?疑心暗鬼に陥る。自身に疑いを抱きつつ、様々に思い巡らす。あそこか、ここかと
「神の御業に備える」(7)
† フラットの状態に。 自分を「平ら」にするとは、どう言うことか?自動車で言えば、ギヤーをニュ-トラルの状態にすることだ。私達人間は、自分を何者か意識して生きている。特に人に対して、その人に合わせて自分を演出している。
「神の御業に備える」(6)
† 何を思考しているか? 今、世界に起こっていることについて、様々な見解がある。その立場によって、その哲学の解釈によって様々である。では、どのように理解するかが私の課題である。確かなことは聖書の世界観があると言うことで
「神の御業に備える」(5)
† 未来の希望の比重。 人間は何のために生きているのか?子供から、熟年に至るまでには、生きてゆく内容が変化し、個人の価値観によって大切さの比重が変わってきたはずである。経済的必要性は、大きな比重を占めている。明らかに、
「神の御業に備える」(4)
† 祈りの必要とは何か? 何を今さら、祈りの必要?とは、私達クリスチャンは解っているようで、身になっていないことが多い。祈らなくても、クリスチャンには違いない。他の宗教(イスラム)では、決められた時間に、日に5度、絶対
「神の御業に備える」(3)
† 神の国が来ている。 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」ルカ17・21)さて、神の国とは物理的な形ではないことを主
「神の御業に備える」(2)
† ちりも積もれば。 「山」となる。には、長い年月を要するという事である。コマーシャルだが、完璧と思える大工の鉋(カンナ)の削り方を、腕組みをした子供がいう「まだ、まだ」と。修行が足らん、と言っているわけである。それほ


