† 何でもありの時代。 私達の毎日には、常に二つのことが起こっている。私達には、なんでも出来る自由な世界が広がっている。同時に、私には「これ以外」は関係のない世界がある。「定め」という規範を、嫌がる人が、大勢いる。実は
「身近で見えないもの」(7)
† 人の心について。 空の星のように存在しているのが私達だと考える。星と違うのは一人一人が固有の人格であり、心を持っている。ということだと思う。私の身近には、多くの知り合いがいる。なんと幸いなことだろう。幼子との付き合
「身近で見えないもの」(6)
† 手にしないもの。 わかっていても手つかず、そのままにしているものがある。棄てればよいものを、そのままにしている。必要に迫られないと、やれないのが私達なのだろう。誰にも大切な時間が与えられている。しかし、余裕としての
「身近で見えないもの」(5)
† 幸いな食卓にあり。 私の幸いは、処方箋による医薬品を飲用したことがないことが挙げられる。もちろん抜歯の時には痛み止め薬はやむを得なかった。それほどに体調が守られてきたことに主に感謝する。その基本となるのが食事であり
「身近で見えないもの」(4)
† 目立つことの生活。 人間である以上は「存在」である。どのような存在なのかが大事になる。人間の関心は自己自身にあることは当然である。自分が見向きもされない存在と、思うだけで、いたたまれないことにもなる。しかし、真実は
「身近で見えないもの」(3)
† 見えないは関心ないこと? 関心があることには、目も耳も共にある。それが人間というものである。伝道とは、単に福音を伝える事ではなく、その相手の人に、如何に福音への関心をもたせるかが大切である。そのためには自らが、福音
「身近で見えないもの」(2)
† 当たり前のもの。 当然として意に介さないでいるものは多いと思う。毎日の食事を神からの糧として、真心からの感謝の祈りをしているのか?たぶん祈りは「付け足し」程度のものではないだろうか?食品は金銭で買えるものとして、主
「身近で見えないもの」(1)
† あわてふためく。 良くあることで、血の気が引くような思いをする時とは?それは、ここに在ると思い込んでいたのに、見当たらない時だ。どこなのだ?疑心暗鬼に陥る。自身に疑いを抱きつつ、様々に思い巡らす。あそこか、ここかと
「神の御業に備える」(7)
† フラットの状態に。 自分を「平ら」にするとは、どう言うことか?自動車で言えば、ギヤーをニュ-トラルの状態にすることだ。私達人間は、自分を何者か意識して生きている。特に人に対して、その人に合わせて自分を演出している。
「神の御業に備える」(6)
† 何を思考しているか? 今、世界に起こっていることについて、様々な見解がある。その立場によって、その哲学の解釈によって様々である。では、どのように理解するかが私の課題である。確かなことは聖書の世界観があると言うことで


