† 私にあるもの。 主イエスが地上に来られたことにより、律法に変わり、神の慈しみと憐れみが、注がれるようになった。主イエスの時代から、今日も同じく変わることはない。これが驚くべき恵みの本質だと思う。私は何ものも神のものを
「恵みの至る所」(6)
† 活力のある心に。 同じ時期に、二つの同じ問題に直面した。一つは突然デスクトップPCの電源が入らなくなった。40年のPCとの付き合いで初めての事象で、何が原因か解らなかった。所が思いがけず電源が入りBIOS (ハード
「恵みの至る所」(6)
† 活力のある心に。 同じ時期に、二つの同じ問題に直面した。一つは突然デスクトップPCの電源が入らなくなった。40年のPCとの付き合いで初めての事象で、何が原因か解らなかった。所が思いがけず電源が入りBIOS (ハード
「恵みの至る所」(5)
† 枯れることにもなる。 恵みの所在は神にある。私達の生まれつきの所与ではなく、主なる神から与えられているものである。主イエスを信じて「神の恵み」が与えられたのである。大切な事は、与えられた恵みは、私の中に守り続けるもの
「恵みの至る所」(4)
「恵みの至る所」(4) † 恵みの体感力。 「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです」1コリ2・12)私達にとって、
「恵みの至る所」(3)
「恵みの至る所」(3) † 一人一人に100バーセント。 ある人は限りない努力をして、必死に神を追い求める。所が、ある人は異なるスタイルを持つ。主を知るための切実さに、それほどではない信仰生活を持ち続けるのである。主イエ
「恵みの至る所」(2)
「恵みの至る所」(2) † 今は恵みの時。 「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え:救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」2コリント6・2)主なる神が預言者イザヤに語られた言葉
「恵みの至る所」(1)
「恵みの至る所」(1) † 神の御心の恵み。 人間に対する神様の御思いは、聖書を通してお示しになっている。人間は「過去、現在、未来」を有する霊的な被造物である。それだからこそ、神様の御心による福音の恵みは、過去の赦しのみ
「受容という技量」(7)
† 進歩するための技量。 自らの進歩は自分にしかわからない。明らかに努力による進歩であり、主の恵み深さによる進歩である。なにが受容されているのか?それは、自らの足りなさである。自らの不十分さを、正直に受容出来ることである
「受容という技量」(6)
† 信仰は自らを受容する。 日本には古来より、自己を追求する思惟が存在する。無の境地とは超越的な到達点で「心頭滅却すれば火もまた涼し」と、織田信長に火攻めにされた快川紹喜(カイセンジョウキ)は、座禅のままに、心頭を滅却