• 「御心よ、その如く成れ」(5)

     † 感謝と祈りの相互性。
     主にある者にとって、感謝は第一に励行されるものである。感謝な
    き信仰は、また、そのような日々は、自ら神から遠のいているのである。
    もしかすると、祈りに専念している時だからと思うかも知れない。主
    の御心に従えば「神への感謝」が毎日に優先すべきである。神に感謝
    することは、救われた者の優先的義務なのだ。「わがたましいよ。主
    をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」詩
    103・2)
    私達への「神の憐れみと恵み」の全てを感謝することを、日々
    の第一優先とされる。私達は日常の必要事に迫られているので、成し
    終えることや、解決に向かって精力を使っている。そのために必死に
    主に祈る。これこそが最優先だと思いやすい。祈りは評価されるが、
    神への感謝が置き去りにされてしまうのである。「何も思い煩わない
    で、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あ
    なたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4・5)
    まず、「あ
    らゆる場合に、感謝を持って」を優先させる
    とき、私達の祈りの要請は、
    神の御心に適うのものとなる。主への感謝が個人に、教会に燃え上が
    るとき、主イエスはその栄光を実際にされるのである。
     † 主イエスが崇められる。
     「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3・30)バプ
    テスマのヨハネは、新時代の先駆者として、一世を風靡していた。し
    かし「私の後から来る方」ヨハネ1・15)イエス様が、公に「花婿」として出現
    された。ヨハネは、花婿の声を友人として聞き、大いに喜び、満たされ
    ていると言った。主イエスの故に「私は衰えなければなりません」は、
    悲劇ではなく、神の御心を歩む役者(エキシャ)の花道なのである。このヨ
    ハネの働きを、主イエスは尊く評価されている。(マタイ11・10-11)神の
    国の福音が「罪の悔い改め」から「主の罪の赦し」へと一体化したのだ。
    私達の生き方に、係わることとして重要な事は、ヨハネの認識を、私達
    も持って生きる事である。
    主に仕える(奴隷)なのに、下僕の香りがし
    ない人。優れた自分や立派さを見せたい動機。主を利用した自己ア
    ピールは、聖霊と神の御心に逆らう愚かさである。人間に評価される
    よりも、神に推薦されるを人になろう。主に用いられる道に立とう。