「歩み出すとき」(4) † 良いことは忘れない事。 いよいよ主の降誕によって、新しい年が始まった。しかし、カレンダーでは年末である。目につくのは忘年会という、お決まりの言葉と宴会である。一年間の労苦を忘れ、親睦のために
「歩み出すとき」(3)
「歩み出すとき」(3) † 自由になれる道に。 自由とは、聖書的には広場の意味を持つ。広場を想像すれば、そこには圧迫するものがない。脅かすような何ものもない。物理的には、そういった、穏やかな空間に安らぐことである。また
「歩み出すとき」(2)
歩みだすとき(2) † 人は人私は私。 真の個人主義は、神を畏れる所にある。神を畏れるならば、兄弟姉妹を愛する(隣人愛)が生きている。人は人私は私という時には、人の事など関係ないということではない。神にあって、人の独自
「歩み出すとき」(1)
「歩み出すとき」(1) † 準備する。 アドベント(待降節)は、主イエスのお生まれを、待ち望む時を意味している。「・・・・マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らの