† 馴れと油断がある。
私達の生活に必要な事は「何事にも馴れる」ことではないだろうか?馴れない仕事や、馴れない環境には、いち早く馴れたいものである。最近、空調機器の仕事人の皆様に会い、その仕事ぶりを見ると、手なれたもので、重機(巨大ユンボ)に対しての関わり方や、シスマチックな働き方には感動ものだった。そういう意味で「馴れ」こそはプロの領域である。では、注意すべきは何か?馴れると言うことは心に油断を生み、不注意になるという事でもあるのだ。旧約聖書に、サウルの家の一族の一人で「シムイ」という男が出てくる。ダビデを「血を流す人よ、よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ」 2サムエル16・7)と、石をなげ、呪った。「私のために神が許されたからかもしれない」と、ダビデは耐えた。ダビデはソロモンに言った。「彼を罪のない者としてはならない・・・」1列王2・9)即ち、知恵を持って裁きを下せ。ということで、ソロモンは、シムイと約束を交わす。「自分のためにエルサレムに家を建てて、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない」1列2・36)エルサレムを出た、その時に生命は絶たれる。何事もなく3年が過ぎた。しかし、シムイの奴隷がガザに逃げたとき、かれは、うかつにもエルサレムを離れ、ガザに出て行った。誓いを破ったシムイは、絶ち滅ぼされた。シムイに起こったことは、霊的な油断とみなされるものだ。
† やってはいけない事。
一寸した操作が、機能不全を巻き起こす。これが私のやらかす、やってはいけないこと。最もメインのPCが使えなくなっている。最近のパックアップが保存されてあるので、環境を失うことはないと思える。今まで出来たことが、次には出来ない。これを何回も経験しているのに、やってしまうのである。今まで通りなのに、次の瞬間、今までの心地よさを全く失ってしまうのだ。霊的なメンテナンスも同じである。心を開き、どんなことにも準備をしていないと、パニックに見舞われる。そのため「私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから」1コリ10・33)人々の益となることを、どんなことでもする。その、やるべきことに集中した日々を心掛ける。これしかないと思う。
「保ち続けること」(4)


