† 現状維持する。
これは優しそうで難しい事でもある。現状維持という意味は、良好な状態を続けよ、という事なのである。最たる問題もなく、順調に前進しているならば、である。しかしながらトラブルが起こる。現状のままで良いのか?変えなければならないのではないか?この時にも大局的に変更することなく、現状を維持しながら対処する。と言う事である。現状という内容に定義が要る。教会は歴史を纏って生きているからである。どのような教会であれ、成り立ってきた歴史を持っている。100年の教会もあれば、30年、わが教会のように50年がある。歴史の中身の内容によって、現状維持が重要であったり、中身が低迷や衰退に向かっている現状では方向転換を求められているのである。それらのことを見る目(霊的な鳥瞰的視点)が、重要である。その上で、の揺るぎない成長への現状維持が求められる。全体的信徒の霊的信仰の向上と、宣教の実質的な成果が具体的に現れることである。成長と結果を生みだすための、現状維持は神の御心である。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」イザヤ11・1)要するに、次から次へと導かれて、実を結ぶに至る。それが健全な現状維持である。そのためには、主なる神への誠実な態度が求められる。
† 神は侮られる方ではない。
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」ガラテヤ6・7)畑を前にして、どのような種を蒔こうと思案する。しかし、私達は「畑」を持たないのに「種を蒔いている」のである。思い違いをしてはいけません。とあるが口語訳では「間違ってはいけない」と訳されている。私達の全ての、立ち居振る舞いが神に記録されている。私達は知らないうちに、種を蒔いているのである。特別わるい種を蒔いてはいないかもしれない。しかし、主イエスの「して欲しい」ことをしないなら、善い種は蒔かれなかったのだ。キリストの心が無いと、善い種は蒔けないままになる。自己中心で、不誠実な種を蒔き続けているならば、間違いなく、主なる神は、必ず私達にその刈り取りをさせるのである。自分のためだけに蒔く人は、思わぬ刈り取りがあるのではと、心配である。


