† 聞き従う事にある。
 自由意志を生きられる幸いを感じない人はいないだろう。それだからこそ、私は多くの反対にあったが、キリスト者となれた。これが、前世代の環境(戦前)だと、難しいと感じる。イスラエル民族は、神によって造られ、神は民との間に、契約を結ばれた。内容は平安と祝福を得て、永遠の生命に至ることである。民の自由意志が赴くところは、神の言葉に聞き従う事であった。旧約聖書の内容はイスラエルが、神に如何に向き合ったかの歴史である。各時代には、神の生ける言葉を語る預言者が立てられた。イスラエルの民が聞き従うためである。国家存亡に関わる危急の時、王や首長達が、神の言葉(預言者)に、聞き従うか、否かが明暗を分けた。「神、主は、こう仰せられる。もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのいのちは助かり、この町も火で焼かれず、あなたも、あなたの家族も生きのびる」エレミヤ38・17)そうすべきであった。しかし、ゼデキア王は、聞き従わなかった。最も悲惨な結末を招いたのだ。恐れや不安の最中にこそ、神に聞き従うべき事を、肝(キモ)に命じたいと思う。
 
† 管理すべき身体。
 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」1コリント6・19)他の箇所には「神の神殿」と記す。今や100年ではなく、120年時代が言われ始めている。聖霊の宮として、望ましいのは、健康な身体である。脳の劣化を遅くする努力も求められる。そのためには節制することも、鍛錬することも、意識して管理して行く事だと思われる。あくまでも、主なる神を崇め、福音の奥義を喜び、楽しむ「証し人」としての生涯でなければ意味の無いことである。生きる年月は、本人の知るところではないが、聖霊の宮として管理されない身体は、神の御心に反するのではないか? 医療の進歩も、私達の目的に味方している。地上での幸いは、神の神殿として、この身体に与えられている五感を通し、感謝しつつ、地上に生きることだ。神の国を、喜び、楽しんで生きる事である。「こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ」伝道の書5・20)ハレルヤ!  

「果たすべき事」(3)

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