決着をつけないまま。
 学校でテストがある。誰もが答を出して答案用紙を提出したいと思う。中には答がわかっているけど、あえて書かないという、特別な理由を持つ人もいるかも知れない。私達は幼いときから、答にたどり着くことを学習してきた。それが生きるために正しい判断力となるからである。学習能力が即、人間の幸福に直結しているというわけではない。学習に賢かった人が、人生の幸福では道を外れてしまった人を多く見る。私達は、人間である自分について答を出さなければならないのである。人間である自分を、どのように何を持って学んだか、それによって明確な答を出すことが人間の責任となる。私達は聖書の神から、人間の由来となる事を学び、未来を教えられたのである。自分が誰なのか、結論となる答を与えられたのである。保証として、主イエスの十字架の事実と聖霊の証印「・・・・あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです」エペソ4・30)をいただいている。ただ、多くの神の聖徒が、自分である事への明確な答を知りつつ、その通りに生きる決着をつけないで、曖昧のままに生きて、喜びの極みに達しないことである。
 
† 新しい発見と喜び。
 結婚50周年とは長いようで、いつの間にかそうなった。それほど私達は共働し伝道と教会形成に一心だったからだと思える。その記念の旅行として東京に出かけた。妻は修学旅行で一度、私は二十代の時にスクーリングで一週間と、代々木での聖会、その後の武道館での聖会以来で、互いに何十年と東京に行ってはいなかった。三日間のツアーでは、天皇陵から皇居、迎賓館や築地や浅草など、東京を縦横無尽にバスで見学できた。中でも:ホテル・ニュー・大谷の大きな日本庭園内に可愛いチャペルがあり、牧師のボブ夫妻と交わりが出来たことである。ビリー・グラハム東京大会で、このホテルに、グラハムが宿泊した事を機会に生まれた教会で、全世界からの宿泊する方々のため、毎日教会はオープンしている。もちろん、宿泊以外の方も礼拝に参加できる。東京の著名な大ホテルが無償で牧師夫妻を住まわせ、教会の必要を認めている姿勢に感動を覚えた。東京に行ったら、是非、日本庭園にあるチャペルを訪れて貰いたい。

「喜びの極みとなる」(5)

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