† 武藤山治のその後。 この度、垂水福音教会60周年記念に招かれ、新しい会堂となる「舞子バークサイドチャペル」で、二度のメッセージを依頼された。岐阜と兵庫の架け橋として紹介した、武藤山治の邸宅が舞子チャペルの、すぐ近く
「御心よ、その如く成れ」(2)
† 身近な先駆者のように。 この岐阜県からも、勇猛なクリスチャンがおられたことに、驚いた。そのような人物を知らぬままに過ごしてしまった。その人の名は、武藤山治(1876~1934)である。私の生前に活躍されたクリスチャ
「御心よ、その如く成れ」(1)
† 私の願うこと。 一介の人間として、願わしいことは、自分の思い通りに成ることである。誰もが同じようなことを願うに違いない。問題なのは、あくまでも人間的な事柄に依拠した願いなのか、神の御心を求める願いなのか、と言うこと
「うしろに立つ」(7)
† 成長を見守る。 親の立場になると、子供の成長を見守る立場に立たせられる。子供の年代に即した見方をし見守るわけである。おおかたは強制するのではなく、本人の自主性を重んじる見方をする。親はいつしか子供の生まれ持つ能力を
「うしろに立つ」(7)
† 成長を見守る。 親の立場になると、子供の成長を見守る立場に立たせられる。子供の年代に即した見方をし見守るわけである。おおかたは強制するのではなく、本人の自主性を重んじる見方をする。親はいつしか子供の生まれ持つ能力を
「うしろに立つ」(7)
† 成長を見守る。 親の立場になると、子供の成長を見守る立場に立たせられる。子供の年代に即した見方をし見守るわけである。おおかたは強制するのではなく、本人の自主性を重んじる見方をする。親はいつしか子供の生まれ持つ能力を知
「うしろに立つ」(5)
† 見守られている。 私達の一番嬉しいことは、力強い後ろ盾がある事だ。自力で生きるという生き方を推薦する考えもある。しかし人間らしく生きられるのは、自分の弱さを知り、頼れる後ろ盾に支えられて生きる事だと思う。信仰とは「
「うしろに立つ」(4)
† 不本意が本位になる。 長い人生を通しての感慨ともいうべきもの、それは私の父のことである。父は大正元年生まれで、80歳まで生きた。戦火で東京を焼かれなければ世的には立身出世を果たした人であった。教養もあり知恵もあった
「うしろに立つ」(3)
† 見る世界が変わる。 至極当然のことだが、生きる年輪を重ねることは、体験も認識も増すことになる。特に信仰は人格に伴う霊性である。主を尋ね求める人は「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても
「うしろに立つ」(2)
「うしろに立つ」(2) † なんでもする。 最も気がつく人物は誰か?そんな質問があったときに、それはオーナー(所有者・社長)であると言うのが答だった。不思議なことに、社員や従業員の気付いていない小さなことにも気がつくの


