† 身に負っている。
先頃、同窓生の一人からハガキが寄せられた。世に在って素晴らしく活躍した一人でもある。今は隣町で悠々自適の生活を楽しんでいる。ところが四年ぶりに、痒疹(ヨウシン)に見舞われGWは最悪だったと書いてあった。凄いかゆみのことで、痛みと同等に苦しみが伴う。当分は悩まされそうである、とあった。誰もが罹る病気ではないかもしれないが、人はそれぞれ何らかの肉体的弱みを持っている。私などは歯科医に半年以上通っている。一ヶ月に一度という予約制の為でもあるが、治療を続けなければ治らない。考えてみれば、子供のころから、歯に関しては弱いと思える。このように何らかの「弱さ」を身に負っているのが私達人間ではないか?使徒パウロは「肉体に一つのとげを与えられた」と言っている。必死に主に、取り去ってくださいと祈ったようである。「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」2コリント12・9)と言っている。弱さこそが、主の圧倒的な恵みと力の源になる。
† 伝道のツール。
我が教会では、年の初めに「誓願・嘆願の祈り」が主の御前に捧げられる。それには所定の献金が伴っている。この祈りは年間を通して、教会のスタッフが毎日執り成しの祈りをする。三〇年以上前から続いている。この尊い献金は、宣教のために聖別される。おもに文書伝道が視野に置かれていた。毎月新聞折り込みで教会と福音を、各地域に知らせるというものであった。当時「クリスチャン新聞」の福音版を月一度買い求め配布できた。それと同時に自前で教会文書を作って配布するということもした。まだ「ドット・プリンター」出力時代であり、切り貼りコピーで文書を作成した。この度の六月「ファミリー・スペシャル」に、岐阜市市長の柴崎正直氏が来て下さることになった。美しいチラシができて案内ができることは幸いである。私も一五年ぶり?「隅の親石」を手がけた。文字が小さくて失敗作。だが、私の福音の勧めとしては「これしか無い」と、これを用いて伝道したい。


