「恵みの至る所」(2) † 今は恵みの時。 「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え:救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」2コリント6・2)主なる神が預言者イザヤに語られた言葉
「恵みの至る所」(1)
「恵みの至る所」(1) † 神の御心の恵み。 人間に対する神様の御思いは、聖書を通してお示しになっている。人間は「過去、現在、未来」を有する霊的な被造物である。それだからこそ、神様の御心による福音の恵みは、過去の赦しのみ
「受容という技量」(7)
† 進歩するための技量。 自らの進歩は自分にしかわからない。明らかに努力による進歩であり、主の恵み深さによる進歩である。なにが受容されているのか?それは、自らの足りなさである。自らの不十分さを、正直に受容出来ることである
「受容という技量」(6)
† 信仰は自らを受容する。 日本には古来より、自己を追求する思惟が存在する。無の境地とは超越的な到達点で「心頭滅却すれば火もまた涼し」と、織田信長に火攻めにされた快川紹喜(カイセンジョウキ)は、座禅のままに、心頭を滅却
「受容という技量」(5)
† 仕切りの無い続き。 人間は自分の体験や理解した事柄から、整理する概念を持つ。歴史に区切りがある様に、たとえ繰り返すにしても、経過したという仕切りを置くことは問題とは思われない。神が受肉され、世に来られたことは、確かに
「受容という技量」(4)
「受容という技量」(4) † 誠実という技量。 今の時代を巧みに生きる人が、賢い人「世渡り上手」な人である。主も言われる「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のよ
「受容という技量」(3)
「受容という技量」(3) 19† したい放題に対して。 主の語られた言葉「戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません」ルカ21・9)続く10節に
「受容という技量」(2)
「受容という技量」(2) † 分け隔てがない。 家庭の中で、親が子供達を分け隔てなく育て、愛情を注いでいるのを見るのは麗しく幸いである。一方では、親が子供に期待する余りに厳しさだけを強いる事がある。また、親が子供に優劣を
「受容という技量」(1)
「受容という技量」(1) † わが主の技量。 受難週を迎えると、主からの大いなる挑戦を受ける。十字架を背にし、よろめきながら足を踏み出されるイエス様を見る。身体はムチで打ちたたかれ、血まみれになり、頭にはイバラの冠を押し
「直視できる霊へ」(7)
「直視できる霊へ」(7) † 継続の頓挫。 義務的な継続は誰もが経験している。学校に行くのも、会社に行くのも義務だからだ。問題は自主的な継続である。自らの意志を通して継続する、様々な努力のことである。例えば、読書による研