「福音を熟慮する」(2) † 熟慮断行(じゅくりょだんこう)。 十分に考えた上で、思い切って実行すること。これが「熟慮断行」である。やはり、教会の鍵を握るのは、個人の真摯な「熟慮断行」が有るか、無いかにかかっている。こと
「福音を熟慮する」(1)
「福音を熟慮する」(1) † 深謀遠慮(しんぽうえんりょ)。 「深く考え、遠い将来までを身通した計画や配慮」のことを、深謀遠慮と言う。深謀とは、深く考えることを意味している。信仰の父、アブラハムは「主が言われたようにいで
「恵みの至る所」(7)
「恵みの至る所」(7) † 私にあるもの。 主イエスが地上に来られたことにより、律法に変わり、神の慈しみと憐れみが、注がれるようになった。主イエスの時代から、今日も同じく変わることはない。これが驚くべき恵みの本質だと思う
「恵みの至る所」(6)
「恵みの至る所」(6) † 活力のある心に。 同じ時期に、二つの同じ問題に直面した。一つは突然デスクトップPCの電源が入らなくなった。40年のPCとの付き合いで初めての事象で、何が原因か解らなかった。所が思いがけず電源が
「恵みの至る所」(5)
「恵みの至る所」(5) † 枯れることにもなる。 恵みの所在は神にある。私達の生まれつきの所与ではなく、主なる神から与えられているものである。主イエスを信じて「神の恵み」が与えられたのである。大切な事は、与えられた恵みは
「恵みの至る所」(4)
「恵みの至る所」(4) † 恵みの体感力。 「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです」1コリ2・12)私達にとって、
「恵みの至る所」(3)
「恵みの至る所」(3) † 一人一人に100バーセント。 ある人は限りない努力をして、必死に神を追い求める。所が、ある人は異なるスタイルを持つ。主を知るための切実さに、それほどではない信仰生活を持ち続けるのである。主イエ
「恵みの至る所」(2)
「恵みの至る所」(2) † 今は恵みの時。 「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え:救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」2コリント6・2)主なる神が預言者イザヤに語られた言葉
「恵みの至る所」(1)
「恵みの至る所」(1) † 神の御心の恵み。 人間に対する神様の御思いは、聖書を通してお示しになっている。人間は「過去、現在、未来」を有する霊的な被造物である。それだからこそ、神様の御心による福音の恵みは、過去の赦しのみ
「受容という技量」(7)
† 進歩するための技量。 自らの進歩は自分にしかわからない。明らかに努力による進歩であり、主の恵み深さによる進歩である。なにが受容されているのか?それは、自らの足りなさである。自らの不十分さを、正直に受容出来ることである