「増し加えてゆく」(3) † 驚きが増し加わる。 慣れ親しむと、当たり前に成り、特別な感動がなくなる。最高が最高なのだと、驚きもしなくなる。同じように私達も、神の恵みに回帰していないと驚きがなくなる。回帰とは、いつも、初
「増し加えてゆく」(2)
「増し加えてゆく」(2) † 力から力へ。 「若者も疲れ:、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」イザヤ40・3
「増し加えてゆく」(1)
「増し加えてゆく」(1) † 大人であること。 子供達を見ていると、日々に成長してゆく様子に驚く。小学一年生の男の子に、卓球のラケットの振り方を教えて、打ち合うと、見事に真似をして、素晴らしい返球をしてきた。一方、癖のつ
「螺旋(らせん)状的信仰」(7)
「螺旋(らせん)状的信仰」(7) † 新鮮な繰り返し。 12月を迎えるとクリスマスに向かう。キリストの生誕に最も大きな意味を感じるからだ。この偉大性をすべての人に伝えたい、その思いで「クリスマス教会祭り」が50年近く続け
「螺旋(らせん)状的信仰」(6)
「螺旋(らせん)状的信仰」(6) † 繰り返しの結果。 重要なことの繰り返しを、今週も行う。それも、完全になるまで、一年続く可能性だってある。キリストの使徒達は一通り教えて終わらない。循環的に理解出来るように、何回も同
「螺旋(らせん)状的信仰」(5)
「螺旋(らせん)状的信仰」(5) † 年の巡りが早くなる。 4歳の子供が教えてくれたのは「早く大人になりたい」であった。ほほえましくて「そうだね。早く大人になりたいね」と、相づちを打った。年齢の記憶では「もう40才か・・
「螺旋(らせん)状的信仰」(4)
「螺旋(らせん)状的信仰」(4) † 環の中を巡る。 信仰の螺線階段というイメージを描けるだろうか?「環」は円を描いている。人々が手を繋いで「環」をつくるように。螺線状的信仰の環は、連続して垂直に上昇している。それを真上
「螺旋(らせん)状的信仰」(3)
† 戒めの約束に溢れる人。 「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」詩119・97)私達クリスチャンの幸いは、昨日も、今日の一日も、そしてこれからも、神の戒めを守
「螺旋(らせん)状的信仰」(2)
「螺旋(らせん)状的信仰」(2) † 地球の出来事。 「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない」伝道1・9)この所のウクライナとロシアの戦争は、終わりなき戦い
「螺旋(らせん)状的信仰」(1)
「螺旋(らせん)状的信仰」(1) † 成長は螺線的である。 私は音楽を好むが、音楽を極めているような熟達者ではない。直観的に多彩な楽器のハーモニーに、心地よさを感じる程度である。教会ではバイオリンの教習があり、数名の生徒