「直視できる霊へ」(1) † 霊的直視を不可能にするもの。 人間には直視できないものがある。まず、身近な太陽である。キリスト以前の世界では、ヤーウェー(神)を見る者は、すぐに死なねばならなかった。このような物理的な「目
「生ける水を流す」(7)
「生ける水を流す」(7) † 川となって流れでる。 川とは「河」を意味している。大きな川のことである。私達の想像を超えた流れのことである。心の奥底から(腹から)涌きでるのである。一つ、体験した事は「驚くべき神の御業」とし
「生ける水を流す」(6)
「生ける水を流す」(6) † 教会の存在理由。 教会は誰のためにあるのか?このことに対しての答は幾つかある。地上に、教会があるのだから、世(人々)のためである。大きな理由の一つである。しかしながら、最重要なことは、教会は
「生ける水を流す」(5)
「生ける水を流す」(5) † 御言葉の戸が開く。 「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」詩119・130)文語で読んだときには感動した。「・・・愚かなる者をさと(悟)からしむ」まさに、私
「生ける水を流す」(4)
「生ける水を流す」(4) † 与えられて流す。 今、あるものは与えられるが、今、無いものは与えられない。私達は長年の信仰生活をしていても、常に霊的な全てを、備えているわけではない。気乗りがしないまま、御言葉が思い浮かばず
「生ける水を流す」(3)
「生ける水を流す」(3) † 生ける水の本質。 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた」黙示22・1-2)この水晶のような命の水は、御神と
「生ける水を流す」(2)
「生ける水を流す」(2) † 湧いてくる水。 山の中腹くらいの谷に、大きな岩があった。その岩の下から水が湧いていた。子供時代に「ここからか!」と感動した瞬間だった。この涌きでていた水は、裾野の方ではザワザワと音を立てて流
「生ける水を流す」(1)
「生ける水を流す」(1) † 信じる者に起こる。 「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」ヨハネ7・38)クリスチャン生活の特徴は「腹から」即ち、私という中心から、生
「私でしかない」(7)
「私でしかない」(7) † 十字架に共に死す。 原語に忠実な永井訳では「我はキリストと同(トモ)に十字架につけられたり。されど、我は生く、尚(な)ほ我にあらず、キリスト我にありて生き給ふなり。されどわれ今肉にありて生くる
「私でしかない」(6)
「私でしかない」(6) † クリスマスの私。 主イエスの降誕を迎える。クリスマスは人類のお祝いだが「クリスト・マス(救い主を礼拝する)」ことである。これは儀式ではない。「私の主。私の神」ヨハネ20・28)として、私がひれ