† 未来の希望の比重。
 人間は何のために生きているのか?子供から、熟年に至るまでには、生きてゆく内容が変化し、個人の価値観によって大切さの比重が変わってきたはずである。経済的必要性は、大きな比重を占めている。明らかに、現実を生きるということが、最重要に数えられるからである。さて、ここからである。私達クリスチャンは「永遠」という事実を生活内に受け容れて生きている。永遠ということは「私の死」の現実を内包しているのである。こういう事実が直視できることによって、初めて「未来」に向かう人間になる。人間の生きる最も大きな比重が、永遠という「未来」に移るのである。聖書に「主よ、来てください」(1コリ16・22)とあるのは、未来への希望の渇望なのである。永遠に生きる私に、最も大きな比重がおかれている。キリスト召天直後の初代教会から、受け継がれていることは「キリストは復活され、死に打ち勝たれた」人間の「死」が克服された。という絶対的事実宣言である。未来の輝かしい命の希望に結ばれた確信が信仰なのである。この信仰の喜びと、輝きの比重が何よりも大きいなら、神の御業に備えられた信仰である。現代の私達は、その重み(比重)が、とても軽いのである。完全な勝利者として、神の栄光の未来に、備えられた信仰者でありたい。

 † 人の霊は復元される。
 この所、カセットレコーダーの必要が生じた。我が家には2台のレコーダーがあったので、始動を試みた。すると一台は駄目で、2台目は、ダブルカセットレコーダーの片方が動いた。私のカセットレコーダーも始動不能だった。ソニー製のレコーダーを、分解修理を試みたが、ベルトの破損以上に、機構に不具合があり直せないことが解った。部品取りはできても、廃棄でしかない。しかし、物とは違って、人間の魂は、どれ程にダメージを受け、痛み絶望していても、主なる神は、修理し、回復される。ご自分の栄光のために、神の思い通りに生かされるためである。「・・・この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです」ヨハネ11・4)神が癒しがたい人とはどういう人か?「神の思い通りに」ではなく、自分の思い通りに固執している人だ。神に全てを委ねて備えよ。神はあなたを完全に回復されるのだ。

「神の御業に備える」(5)

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