† 神の国が来ている。
『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」ルカ17・21)さて、神の国とは物理的な形ではないことを主イエスは言われている。「あなたがたのただ中にある」いうなれば、天にある神の国が、私達の中にあると言う意味である。即ち、神の国とは「神の支配・神の統治」なのである。わかりやすいことを、主イエスが言われている「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです」ルカ11・20)悪魔の支配は、悪霊どもによって、隅々まで行われている。それを主イエスが「神の指(権威の力)」で、追い出されている。その事によって、神の国(神の支配)が現実に、私達のただ中に来ているのである。ここで大事なことは、私達は完全に神に支配されているか?支配されることを、心から求めているか?なのだ。現代に悪霊追放なんて、ナンセンス。という人もいる。しかし、主による悪霊追放は、神の支配を来たらせるためだ。悪霊と共存することなどあり得ない。私達が神の御業に備えるためには、闇の力である悪霊に立ち向かう必要がある。主イエスと同じになる事によって、私達は神の国を生き抜けるのである。
† 高みを目指せ。
神学校の同窓で、牧師である友人の最近の記事を読んだ。昨年の大晦日に意識を失って倒れたそうである。しばらくして意識が戻り始め、朦朧とする中で、厳かな声を聞いたと言う。その時は身体に痛みもなく元に戻ったので、救急車を呼ぶことはしなかった。しばらく日が経って、苦しくなり救急車で運ばれたが、幸い大事には至らなかった。ニ年前に妻を天に召され、一人まとまりのない日々を感じて、過ごしていたそうだ。折しも、あの厳かな声は「上を目指して生きよ」 と、言う促しであったと言う。彼は、崇高な生き方を求める事が、自分に託された最後の人生だと確信した。というのである。年と共に、身体には不調が伴う。彼は、その事によって、死を覚えたという。希望や喜びは未来に属する。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」ヘブル11・6) 信仰の真の目的を確認出来る人は幸いである。


