† ちりも積もれば。
「山」となる。には、長い年月を要するという事である。コマーシャルだが、完璧と思える大工の鉋(カンナ)の削り方を、腕組みをした子供がいう「まだ、まだ」と。修行が足らん、と言っているわけである。それほどに「我が社は最高の仕事をしている」と、言うことなのである。クリスチャンであるなら「生涯信仰修行」である。1年目から60年目の人まで、一様に聖書により、生ける神に鍛えられての今がある。「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです」ルカ6・40)問題なのは、十分に訓練を受けたいか?と問われるとき、果たして、どれだけの人が「宜しくお願い致します」と、言えるのか?人間は健康上の理由から、肉体を鍛えるのに時間を惜しまない傾向がある。しかし「肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です」1テモテ4・8)現在と未来を、完全な幸せに満たすものは、霊的信仰の鍛錬である。これは間違いのない真実である。ただ、都合の良い近道がない。エスケープ(逃れる)方法がないのである。ならば、塵(チリ)が積もるように、一歩一歩主に近づき、似た者になって行く事だ。
† 失ってしまったもの。
罪の最も恐ろしい事は、神の恵みを喪失することである。恵みを失うことは、神に生きることを失うことである。「それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう」黙2・5)神の非難は「あなたは初めの愛から離れてしまった」黙2・4)ことにある。ただ、神に立ち返る強い意志を持って、真剣に悔い改めるなら、恵みに立ち帰れる。最近写真データー15GBが消えた。復元出来るはずだが、必要なソフト・ウエアー(プログラム)は高価である。様々に探し回って遂に、最適(無料)で、優れたソフトを見つけた。私に取って、失いたくない価値がある、絶対に復元したい。という熱意がければ、簡単に「仕方がない」と諦めたと思う。主イエスの恵みは最大の価値ある宝である。失ったり消すと復元は極めて困難である。


