† 激動の中を生き抜く。
 世界は激動の時代を迎えている。いつの時代も、そのように言われるが、世界を制覇したい、明からさまな覇権主義が、神に変わって権力を握りたがっている。我がファーストを叫ぶ力の台頭である。世界の平和など眼中にはない。私達はその中で「新しいブドウ酒」の役割を与えられている。生き生きと輝きながら、発酵力の強い力を現して行くためである。キリスト信仰に敵意を持つ国家や、その権力者でないならば、大いなる幸いである。「・・・彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います」ロマ13・4)世界にはびこっている、すさまじい悪を見せつけられても、私達は、永遠の生命を持たせる福音を、最大の善として、暗闇の世界に行うのである。ユダヤ教徒はロマ帝国と戦争をした。しかし、キリスト教徒は参戦しなかった。歴史的な事実で、両者の決別を深くした。さて、激動のしわ寄せは押し迫ってくるだろう。「戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません」ルカ21・9)闇の世界が押し迫る中に、私達の輝きと発酵力は偉大さを増すのである。

 † 皮袋を輝かせよ。
 「・・・人はうわべを見るが、主は心を見る」1サムエル16・7)人々の中に私がいることを思うならば、私は、うわべを見られているのである。うわべというのは服装のことではない。私の気品や魅力的な表情である。心が「御霊の実」ガラテヤ5・22-23)に満ちているならば、自ずから外側(うわべ)に醸し出されてくる。シナイ山で、主なる神と顔と顔を合わせたモーセの顔は、神の輝きを放っていた。出エジプト34・29)モーセはそれを知らなかったのである。私達クリスチャンも霊的健康者であると、自分が輝いていることがわからない。しかし、神の輝きが、私を柔和に形造り、私の顔を輝かせてくださるのである。ステパノを見ればわかる。畏敬の信仰を持って、聖霊に満たされた彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った」使徒7・56)ステパノの満身が輝きわたった。そこにまで主イエスは、私達を引き上げることがお出来になる。主よ。そうして下さい。

「皮袋と中味」(7)

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