† 示唆に富んだことば。
「また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます」マタイ9・17)まず、言葉にある背景を理解しょう。主の弟子の中には、バブテスマのヨハネの弟子から加わっているアンデレとフィリポがいた。バプテスマのヨハネは旧約の最後の預言者であり、旧約のしきたりに従って、断食をしていた。主イエスとその弟子が断食をしない理由を、ヨハネの弟子が尋ねたことが発端となった。主は今、偉大な原則を宣言し、時代が移り変わるという事実を明らかになさろうとしているのだ。主イエスの到来は新時代を象徴する、新しいブドウ酒なのである。古い革袋とは、すでにぶどう酒を蓄えたもので、皮が伸びきっている。そこに新しいブドウ酒を入れると、発酵力に耐えられず破れてしまうのである。主イエスは断食の無用を説いたのではない。断食は、神の憐れみと助けを必要としている私達が、神の前にひれ伏す、という思いをもって行われるべきものである。主は自ら「恵みと真理」という、新しいブドウ酒を注がれる。私達は、新しい革袋として絶えず主イエスを見上げて居よう。
† 壊される建物。
近くで大きな家屋が、壊されている。相当の値打ちのある家だが、重機を持って壊されて行く。「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です」2コリント5・1)ここでは、皮袋は建物である。私達が幕屋であるというのは、神が住まわれる霊的な建物だからだ。確かに私達の中に、主が住まわれている。先日も牧師夫人の父親が、主の元に召された。まさに、主は備えられている場所(マンション)ヨハネ14・1)に迎え入れてくださった。また、主は復活された栄光の姿に等しい、栄光の身体を与えて下さる。幕屋は、仮住まいを意味し、私達の身体を意味する。世界を見れば、無慈悲な殺戮(サツリク)が行われている。重機で家を壊すように。だが神は、永遠の真の住まいを用意し、神の栄光と平安の中で喜びに満たして下さるのである。


