† 父との親密さ。
 私達の教会は、ビンヤードの名が付く可児福音教会である。世界にワーシップソングを、初めて広げたのがビンヤード教会である。A・Eマクグラス著「プロテスタント思想文化史」(16世紀から21世紀で)によれば、世界(ヨーロッパ)で活性化している教会は、古来の賛美歌を歌っている教会ではなく、ワーシップ・ソングを採り入れている教会だと記している。ビンヤード教会の役割の大きさがうかがえる。「父なる神の心に触れる」目的が、ワーシップ・ソング(礼拝を捧げる歌)である。神の子供は、父なる神との親密な関係(交わり)を最重要とする。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」ヨハネ1・18)「父のふところ」こそ、最も親密な場所である。私達も神の子供とされたのである。幼子の様に「アバ父(お父ちゃん)」ロマ8・15)と、父なる神のふところに、飛び込んで行けるのである。神と人間という、質的差を超越した、驚くべき特権を与えらている。ビンヤード教会の信仰の刷新運動は、神の子供の特権(権威)の回復にある。このことがあって「しるしと不思議の伝道」が、必然的に生まれるのである。父なる神のふところに駆け入ろう。

 † 神の子供に期待する父なる神。
 父の心を理解しているか?かつて、スウェーデンのビンヤード教会の牧師であったヨハンソン先生の、父の心についてのお話しで教えられた。ある青年の話で、父親を喜ばせようと、父親には一切知らせず、一生懸命バイトをし、お金を蓄え、遂に高価な車を買った。そして、その車を突然に父親に見せた。さぞ驚き、喜び、ほめてくれるものと思った。しかし父親は、顔がこわばり、さびしげになり、何も言ってくれなかった。父親としては、今まで通り、息子と、どんなことでも相談して、ことを成すことが、何よりも喜びであった。それがないまま、息子が自分勝手に全てをやったことが、父親の心を傷つけてしまったのだ。私達も、神の子供として、父なる神と、会話も親密さもないままに、何かを行い、やり遂げたとしても、父なる神の心は、物足りなく、寂しいに違いないのだ。神の子供は父なる神に、全て明し父と語り合うことが喜びとなる。また、神の子供は、父の喜びを喜ぶことなのである。

「神の子供の信仰」(2)

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