† 感謝と祈りの相互性。
 主にある者にとって、感謝は第一に励行されるものである。感謝な
き信仰は、また、そのような日々は、自ら神から遠のいているのである。
もしかすると、祈りに専念している時だからと思うかも知れない。主
の御心に従えば「神への感謝」が毎日に優先すべきである。神に感謝
することは、救われた者の優先的義務なのだ。「わがたましいよ。主
をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」詩
103・2)
私達への「神の憐れみと恵み」の全てを感謝することを、日々
の第一優先とされる。私達は日常の必要事に迫られているので、成し
終えることや、解決に向かって精力を使っている。そのために必死に
主に祈る。これこそが最優先だと思いやすい。祈りは評価されるが、
神への感謝が置き去りにされてしまうのである。「何も思い煩わない
で、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あ
なたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4・5)
まず、「あ
らゆる場合に、感謝を持って」を優先させる
とき、私達の祈りの要請は、
神の御心に適うのものとなる。主への感謝が個人に、教会に燃え上が
るとき、主イエスはその栄光を実際にされるのである。
 † 主イエスが崇められる。
 「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3・30)バプ
テスマのヨハネは、新時代の先駆者として、一世を風靡していた。し
かし「私の後から来る方」ヨハネ1・15)イエス様が、公に「花婿」として出現
された。ヨハネは、花婿の声を友人として聞き、大いに喜び、満たされ
ていると言った。主イエスの故に「私は衰えなければなりません」は、
悲劇ではなく、神の御心を歩む役者(エキシャ)の花道なのである。このヨ
ハネの働きを、主イエスは尊く評価されている。(マタイ11・10-11)神の
国の福音が「罪の悔い改め」から「主の罪の赦し」へと一体化したのだ。
私達の生き方に、係わることとして重要な事は、ヨハネの認識を、私達
も持って生きる事である。
主に仕える(奴隷)なのに、下僕の香りがし
ない人。優れた自分や立派さを見せたい動機。主を利用した自己ア
ピールは、聖霊と神の御心に逆らう愚かさである。人間に評価される
よりも、神に推薦されるを人になろう。主に用いられる道に立とう。

「御心よ、その如く成れ」(5)

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