• 「神の子供の信仰」(4)

     † 恵みに立ち返る。
     ある著明な方の成功の秘訣は、メモを取ることにあると言われる。
    あるクラブに所属したとき、そこには超エリートの大学生ばかりで、ロシヤ語、ドイツ語を原文で読むような人達。自分は翻訳物しか読んでいない。とにかく頭が良い人は、すべて記憶しメモなど取らない。しかし、次第に正確なメモを持っている自分が、彼らの議論を終わらせる根拠を持つようになり、自分が中心的役割を任せられた。重要なことは、メモされていれば、忘れてもかまわない。立ち返ってノートを開けば、そこに重要項目が書かれているからだ。先頃「フランクリン自伝」を手にした。青年時代に読み、圧倒的な影響を受けた。これほどの建徳の本はない。信仰的で、超人的な模範者だ。特に13の徳目を、身につけた方法を明示している。普通ではない。神の子の真の信仰だと思った。何十年も経った今、もう一度立ち返って「自伝」を読み返し始めると、現実の人物から話されているような感覚で、骨身に染みこんでくる。更に、立ち返って2回目、3回目と開くべき本が山とある。恵みに立ち返れることに、ワクワクする。「・・立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。・・」イザヤ30・15)恵みなる源に、いつも立ち返ろう。

     † 結局の所(とどのつまり)
     「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」伝道12・13)これは、最終の結論を言っている。教会における全ての帰結なのである。余りにも単純明快なので、魅力的でないかも知れない。確かに私や、あなたには、残してきた実績があるし、今もなお実力としての能力がある。そこに自分の存在意義を置いているのか?しかし、主イエスは、それを最終のあなたの評価とされるのか?確かに家族を始め、社会的に、それらは重要である。しかし、何が永遠に残り数えられるのか?あなたに結論があるか?誰もソロモンほどの功績も実績もないが、そのソロモンが、今を生きる私達(神の子供)への終局の、これしかない永遠の結論「神を畏れよ。神の命令を守れ」を言う。信仰ありと言えども、結論が違っていたら、信仰の放浪は長く長く続くかも知れない。