† 活力のある心に。
同じ時期に、二つの同じ問題に直面した。一つは突然デスクトップPCの電源が入らなくなった。40年のPCとの付き合いで初めての事象で、何が原因か解らなかった。所が思いがけず電源が入りBIOS (ハードウェアー制御プログラム)画面が出た。この原因はPCの「電池」切れが起こす問題である。もう一つは、自動車のスマートキーで、ドアーの開閉が出来なくなった。まさに電池切れの結果である。電池は外にあるのではなく「内臓」している。恵みに関連して考えるならば、「心の劣化」は電池の劣化と共通する。スマートキーによって、指先だけでドアーを開閉し、エンジンを始動できる。電池が切れると、たちまち機能は停止してしまう。このことは、私達の心に当てはまる。心について吟味し、考えよう。「心が枯渇した状態」は電池切れの状態である。神の恵みの「受容力・保持力」が極度に低下しているのである。この世のことに引き出されての結果ではないか?密室の祈りを忘れ去っていないか?原因はともかく、今、主の元に立ち返る時である。主は、悔い改める心を、恵みにふさわしく造り変え、ご自分の霊力によって、私達の心を刷新(充電)されるのである。ハレルヤ!
† 神の条件に従うなら。
「もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう」 申命11・17)恵みの至る所は明確にされている。私達が恵みという事柄を、主なる神に関連付けしないなら「恵みは、たまに当たる:宝くじ」のようなものになる。しかし恵みは、主なる神と直接的に結びついている。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」ロマ8・28)「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」1ヨハネ5・3)いうなれば、主イエスの信仰により、喜んで神の命令を守れることが「与えられた偉大な恵み」なのである。それ故、全てのことを働かせて益(祝福)として下さる。私達は、罪の裁きと地獄から救われた。この「恵み」が、神の命令に従う根拠である。その私達に、恵みにより、全てを働かせ益(祝福)に結ばれるのである。