• 「苦しみの意味」(1)

    「苦しみの意味」(1)

      人間の由来。

     人間とはなにか?人間の由来(ことの起り)から、現在までが人間なのである。「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」創27人間は、神の霊を入れられた唯一の被造物だ。その目的は「・・・・われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と仰せられた」創126世界の平和を維持する管理者の使命を与えられた。ここには「苦しみ」も「悩み」も、一切伺い知ることは出来ない。その人間が、今なぜ「苦しみと嘆き」の中に生き、困難に絶望しているのか?人間は自らの特権である、自由意志で「罪」を選択したからである。「・・・仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない」317)人間の一生が「苦しんで食を得る」こととなったのである。主イエスは、十字架に血を流し、私達人間の、呪いと苦しみの根源である罪を取り除かれた。その結果「求めなさい。そうすれば与えられます」マタイ77)と、神が必要を満たされる。次に、私の中で主イエスが、罪人のために、に苦しまれるのだ。私達が、主イエスと地上で生きるので、神の愛の苦しみは栄光に変わるである。

      † 苦しみから逃れる。 

     主イエス様は私達のために祈られた。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません」ヨハネ1415-16私達が「この世の者ではない」ゆえに、悪い者(悪魔や悪霊ども)敵対者(世)から守られる事。それに私達を保ち続けてくださることが約束された。私達クリスチャンには、今、安逸(アンイツ)の神の御許(天国)ではなく、主イエスが戦われた地上(この世)にいる。使徒パウロのように戦う兵士」「競技者」「農夫2テモテ24-6)として、具体的信仰で生活をしているのである。その信仰も、力も、神から与えられる私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです2コリ144この戦いは苦しみとはならず、クリスチャン生活の勝利の喜びであり、苦しみを忘れさせてしまうものである。