「うしろに立つ」(2)
† なんでもする。
最も気がつく人物は誰か?そんな質問があったときに、それはオーナー(所有者・社長)であると言うのが答だった。不思議なことに、社員や従業員の気付いていない小さなことにも気がつくのである。高く、偉いと思われる人が、最も取るに足りないことを行うのである。これは、主イエスがなさっておられたことでもある。「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」マタイ20・25-26)要するに前から見下ろすのではなく、うしろから人の真実を見渡す事なのである。そうしたら、一人一人の必要に答える適切さを持てるということなのだ。前にいつも立って、必要事だけを伝達していては、多くの落ち度が生まれてくるということなのだ。教会のトップであるキリストは、人のうしろに立たれて、人の落ち度や足らざる所を補い、満ち足らせる豊かさをお持ちなのである。このような主イエスに見倣う人は、どのような組織、団体にあっても豊かに用いられる器なのである。
† 古き無きものを今に生かす。
この日は、月に一度の教会員による、早朝奉仕日である。真夏の教会周辺の清掃(草刈り・草取り)をする。4ヶ所の教会施設が清掃の対象である。近年の猛暑は、草を繁盛させ、直ぐに手入れを必要とする。教会には2台の草刈り機がある。それに、40年前に私の父が使っていた動かない草刈り機を分解清掃して起動させることにした。中古の部品を九州から取り寄せたりして、見事にエンジンがかかり草刈りに使ってもらえた。捨てられ、忘れ去られていたものが、生き返ったのである。いつも思う事は「直せば直るはずだ」という思いである。私達の救い主イエスは、人生を諦めてしまった人々。希望をいだけない人々。悩みや失望で気力を失った人々を「尊い人間」に、創り直されるお方である。人間にあるべきものが欠損しているならば、主イエスご自身が欠損の中に入り込まれる。最も完全な修復をされるのである。「無い者が有なる者」に創り変えられるのだ。ハレルヤ!


