「恵みの至る所」(1)

† 神の御心の恵み。
 人間に対する神様の御思いは、聖書を通してお示しになっている。人間は「過去、現在、未来」を有する霊的な被造物である。それだからこそ、神様の御心による福音の恵みは、過去の赦しのみでもなく、現在の祝福に生きるのみでもない。明確に希望である未来が、恵みの結実として、永遠の生命が現実となるのである。「恵みが至る所」は、神の御心に従って、教会において信徒一人一人に、十全な恵みとして行き届くことが求められている。神の御心に対する志向のない場合(教会)は、信徒の過去への神の恵み、現在の神の恵み、未来の輝かしい神の恵みを掲示し、持たせることに不十分になってしまう可能性がある。教会に優れた特性があり、宣教が前進することは幸であり、推し進められるべきである。特に日本では、宣教のアイデアが必要である。そのすばらしさと共に、神の御心である「恵みの十全性」を、選ばれた信徒に、至らせるのである。「あなたの過去は、恵みにより最善に変えられたか?」罪が赦されることは過去に属し、神の愛の恵みに生きる現在に繋がっている。そして瞬間、瞬間を生きる私達は、未来の神の栄光の中に完成しているのである。このように、恵みの至る所は、私達の全人格的な完全性であり、神の憐れみの御心が行われる事である。

† それぞれを統合する。
 生きている事は、すべてを必要とする事である。読み書きが出来ること。身体か健康であること。社会的に生きられること。人間は統合的な生き物なのである。学問にしても、際限のない広がりを持っている。一人の人間が聖書も読み、政治経済、科学、医学、心理学も読み、神学、思想、文学、哲学もインテリジェンスについても読む。一回的で終わず、続けられて行くのである。私達クリスチャンは、この一切の知識と認識を、福音の真理に統合する。福音の真理にすべてを紐(ヒモ)づけして、福音の広さ高さ深さに栄化するのである。読めば読むほど、知れば知るほど、神の恵みは幅(ハバ)を増し、説得力を増す。主を愛する者は、そのように、すべてを神の栄光のためにする。同時に、神ご自身をより知る事に当然なる。恵みは、主を求めて、すべてに関心を持って学び続ける。結果、その人に、より優れた恵みが至るのである。

「恵みの至る所」(1)