「増し加えてゆく」(4)

† 無料で増し加える。
 「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みない。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」ヨハネ7・37-38)ある人は、長らく福音を聞いているが、信じる気はない。この世の美味しい飲料水なら飲めるが、イエスの与える生命の水は飲みたくないのだ。要するに、魂が「渇いていない」結果である。しかし、イエス様から見れば、この人も、飼う者のいない羊のように迷っており、滅びへの道を歩み続けている。人間は自らの重要な渇きに気づけない。それが罪の恐ろしさである。主なる神は言われた「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え」イザヤ55・1)最も必要なものを「ただ(無料)」で与えられる。主イエスも、ただで与えられる。この生命の水は、自らを潤すだけではなく、泉となって流れ出る。主は私達を、ご自身のようにされたいのだ。「病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」マタイ10・8)心貧しく、渇いている人は、真に幸いな人である。

† 正常を保ち続ける。
 私の家は電車が通る近くにある。定期的に、夜間の線路補修工事が行われる。世界に誇る新幹線も、正常を保つための厳しいチェックと、補修作業が絶えず行われている。このような事はあらゆる分野で行われる。電子機器が世界を繋げているが、サイバー攻撃から守るべく対応し、メンテナンスが行われる。私達は神の救いを得ている者である。その正常な信仰を、絶えず保ち続ける使命がある。そのためには、神の御言葉(霊的なパン)を毎日食し、信仰の体力を維持し、恵みに回帰して、霊性を高めて行くことである。私達クリスチャンが優れた霊性を保ち、生き生きと、生きられるには、常に信仰の正常な補修作業が必要となる。補修作業が、人知れず夜間に行われるように、私達の霊的補修作業は、誰にも知られない場所「奥まった部屋」マタイ6・6)で、主に祈り、恵みを受けて、正常を保全される。

「増し加えてゆく」(4)