「螺旋(らせん)状的信仰」(6)

† 繰り返しの結果。 
 重要なことの繰り返しを、今週も行う。それも、完全になるまで、一年続く可能性だってある。キリストの使徒達は一通り教えて終わらない。循環的に理解出来るように、何回も同じ真理を繰り返して私達に理解を求めている。全くの無知から技術を得ようとするなら、まず教えを受け、実際の実演を見、実際に手取り、足取りの指導を受ける。高度なパイロットの技術や、金属を加工する技術から、さまざまに、一人前になるには相当な時間を要する。ピアノ、バイオリンの奏者になるにも、多くの年月にわたっての修行が求められる。川の岩盤に丸い穴が見られる。これは打ち寄せる水が渦を巻き、石を巻き込んで、ぐるぐると回り続けて、美しいまん丸のくぼみを造る。この動作を、限りない年月にわたり、くり返した結果だ。私達は一日の朝、昼、晩を、一年の春夏秋冬の四季を、繰り返して100才にもなると言う。その人生の目的は何か?「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」エペソ4・13)螺線的に、高められる霊的知識で、完全な大人になるのを楽しみたい。
 
† 弾力性のある信仰。
 使徒パウロを知ることは、「凹(ヘコ)まない人」だということだ。パウロが復活のイエスに出会った事を通して、特に異邦人のための「選びの器」であり、主イエスのために「どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」使徒9・16)まさに復活の信仰を宣べ伝えるパウロは、ありとあらゆる患難と困難を通らされた。「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました」 2コリ1・9)そこまで危機が迫った。「私は、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」ピリピ4・12)そればかりか、パウロが高慢にならないため、神が赦された「サタンからの刺(トゲ)が肉体にあった」激痛を伴う痛みに苦しみながらの宣教だった。神は言われた「わたしの恵みは、あなたに十分である」2コリ12・9)パウロを召された、神の恵みと憐れみが圧倒的に満ちあふれていたのである。これこそが強靱な弾力性である。螺線状のバネの性質は、信仰の生き生きとした弾力性に見える。どの様な圧迫にも、元通りの神の恵みに戻し、平安を与えるからである。

「螺旋(らせん)状的信仰」(6)