「霊的な同化」(6)

† 一心同体。
 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」エペソ5・31)神の御前で、誓約された結婚の、祝福の真意が述べられる。一心同体という言葉は新約聖書で4回用いられている。その中に「遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる」と言われているからです。しかし、主と交われば、一つ霊となるのです」1コリント6・16-17)私達は、生きている限り「煩悩(欲望)」が、つきまとう。通俗的には、性欲と物欲であり、遊女は、その象徴である。人間は欲望と一心同体として生きている。「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」エペソ2・3)しかし今、私達はキリストにより、滅びから救い出された者として生かされる。求められる事はただ一つ「主と交われば、一つ霊となる」主イエス・キリストと一心同体になる事である。主なる神であり、父である神に、自ら近づいて交わる事である。それを怠れば、必然的に、欲望の力に同体とされるのだ。クリスチャンは危うい現場(この世)に居る、ということを、肝(キモ)に命じるべきである。

† 希望の中に生きる。
 すべての人が知っている事は、人生の悲哀である。不遇の中におかれ、報われない中に生き、長い年月を生きても、思うようにすることが出来なかった。そのような悔いを背負っている。その結果、神も仏もいない、と失望の中に生きる人が大勢いる。「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように」ロマ15・13)ここに、人間の生きる源泉は「溢れる希望」であることが宣べられている。現実の喜びと平和に溢れることである。「希望の源である神が(共同訳)」希望に溢れさせる。しかも、永遠の世(天国)にまでも確固として結びつける希望である。この世の富を持ち、人間の欲望を満たしても、虚しさが襲い、死の恐怖に追いかけられる。今こそ、中途半端な生き方を止めよう。真実な希望の神から得られる、あらゆる喜びと、平和に満ちる、信仰の祝福の中に立ち上がろう。

「霊的な同化」(6)