「霊的な同化」(2)

† 通じるもの。
 「至誠通天」極めて純粋な真心は必ず天に通ず。という中国の孟子の言葉である。私達には、この上なくありがたいことは、天に義なる、聖なる神がおられるということである。即ち、私達の真心に対して速やかに応答して下さる真実な神であられる。それにしても、私達は常に、純真な真心であろうか? すごく打算的であるのではないか?主イエスは、私達がどれ程のものか、良くご存じである。「そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」ヘブル7・25)この意味合いの中に「私達が完璧だから」というニュアンスがない。純粋とは言えない、私達を知って、とりなして下さるのである。御子イエスは、天の父に、純真な真心で近づかれた。私達にもそのように求められている。しかし、そのようではない私達を、主は、執り成して、天(神)に通ずるものにして下さる。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです」ヘブル10・19)「聖所に入る」とは、聖なる神と同化することである。それを成し得るのは、真心から捧げられた主イエスの血潮なのである。ハレルヤ!

† 引きよせる。
 主イエスほど、多くの人を引きよせられたお方はいない。今も多くの人が引きよせられている。それほどに主イエスには魅力があるからだ。その魅力とは、真実に一人一人の事を知り尽くして愛しておられるからである。その愛とは、その人の必要に対して、与える全てを持っておられるからだ。人間の引きよせる力も、同じようである。見せかけのない、思いやりや、親切が常に隣人に注がれているとき、隣人はあなたを無二の友として結びつく。引きよせる力を持つ人は、徹底的に変わらない信念を持つ。その方(隣人)を信頼し、信じる。「この方(隣人)は、私と親しくなる」と、揺るがず「そのようになる」と思い続ける。さまざまな違いを超えて、現実は変えられる。自分の心に思い描いたように、素晴らしい関係が出来てくる。私達の信仰は、神のみを信じるだけではない。人と人の繋がりを創り出す愛と信頼の、引きよせの法則(信仰)を喜ばしく用いるのである。

「霊的な同化」(2)