「幸いの根拠」(5)

† 達観した精神。
 達観(タッカン)とは、将来の情勢を見通すこと。全体の情勢を見通すこと。また、「達」には成し遂げる。目的地に到達する。と言う意味が込められている。アドベント第二週を迎えるに及んで達観した人物ヨセフを取り上げたい。マリヤと婚約し、高揚した幸いの毎日を与えられていた。所が、受け容れがたい知らせを受ける。婚約者のマリヤが妊娠したのである。ヨセフは「正しい人」マタイ1・19)とある。この事態は、神が始められたこと。この「躓き」を乗り越える手段は、慈しみを持ってマリヤを受け容れれること。ヨセフは、神の御手によって、行われる「未来を達観した」のである。ヨセフこそ、クリスマスを成功させた功労者である。ヨセフは神と神の約束を疑わなかった。神はそのヨセフを選ばれたのである。ローマ皇帝が全世界の住民登録を命じる初めての勅令が出た。税金の徴収と兵役のためなので、全世界の住民は嫌嫌ながら、不平を言いながら従った。しかし、ヨセフは違った。神がイエスをマリヤから生まれさせる事を知っていた。ベツレヘム(マタイ2・6)は、メシヤの出る村なのだ。ヨセフはすべての男性の「幸い」の模範である。信仰による達観した精神を持って生きる事の幸いを現している。

 † 幸いへの勇気。
「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい」 申30・19)前後の御言葉を読むと、死と呪いがなぜ起こるのかがわかる。「あなたが心をそむけて、聞き従わず、誘惑されて、ほかの神々を拝み、これに仕えるなら」 17)である。私達は、直接偶像を拝むことはない。しかし「心を背ける」ということ「聞き従わない」ということは、どうだろう。世的なものに「誘惑される」と言う事も身近な問題である。信仰はヒロイック(雄々しく英雄的)なものである。キリスト信仰には勇気を伴う。「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる」 申30・14)このようにして、キリストにある者は「いのちと祝福」の中を歩み続けるのである。一回の勇気が、続く百回の勇気に繋がる事を覚えよ。

「幸いの根拠」(5)