「幸いの根拠」(2)

 † 過去の革命。
  本来革命は現在と未来に向かうものである。しかし、あえて人間の「幸いの根拠」は過去の変革(革命)にあると信じるのである。普通に言われることは、過去は変えられないというものである。しかし、過去が換えられるのである。その人生には、天地異変に等しい幸いな激変が起こるのである。人生をやり直す、と言う言葉はよく聞く、しかし、過去が換わる、と言う事は余り聞く言葉ではない。現実は、多くの人が、自分の過去を原因として、現在も未来にも希望が持てないでいる。だが、キリスト信仰は、私達の過去に係わり、解決するのである。現在とは過去によって成り立っている。2千年も前にキリストは十字架の贖い(罪過からの解放)を、神の永遠の保障の御業とされた。この神の歴史的御業を信じるのが信仰である。それは過去からの現在の私が、キリストと共に葬られてしまうことである(ロマ6・4)過去の革命とは、キリストと共に死ねるという喜びである。この信仰による現実が、現在と未来を神の生命で生きる事となる。そして、キリストの復活とも同じようにされるのである(ロマ6・5)いかなる過去も死んで、革命的に新しく生まれ換わるのである。

 † 希望に繋がれている。
 希望に繋がらない生活は、尻すぼみで暗く、悲しいものである。今ウクライナは仕掛けられた戦火で、町を破壊され、難民となった人々が1500万人に達している。この国の希望は、決して敗北しないこと。第二は、母国を復興することである。この希望がなければ、この国は生きる力と意味を失うだろう。希望は未来に確信を与える事実である。目に見える世界だけが本物ではない。まことの本物は、神が与えた「見えない永遠の命」であり、「見えない神の実在」である。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」ヘブル11・1)信仰は、古い過去を新しく換え、信仰は「望んでいる事柄(希望)」を保証し、確信させる。現在が、どんなであっても、神はキリストにより永遠の報いを与えられる。信仰は希望を包含(ホウガン)している。この信仰と希望は、神の愛で覆われている。神の愛は信じる世界中の者を、キリストの一つの身体として力強く連帯させ、苦しみにある者を支え励まし、希望を共有するのである。

「幸いの根拠」(2)