「領域を意識する」(5)

† 領域がゼロになる。
 大きな教訓を得たのは、車に欠かせないバッテリーからだった。いつもの車が、電池切れで始動しない。それで、ブースターケーブルで、他の車を通してエンジンを始動させた。普通はこれで、急速充電する。安全を期して4㎞位走行し、ガソリンスタンドで、燃料を満タンにした。所が始動しない、バッテリー電源がゼロである。ここまで動いたのは、車の発電電流であったのだ。急遽、無効のバッテリーを、スタンドのガレージで新品に取り換えた。バッテリーは劣化し蓄電する能力「領域」を失う。他の車からの電気でエンジンは始動するが、もはや、電気を蓄えられない。止めたら最後、車は動かないのだ。このことは、私達を表しているかも知れない。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」ヨハネ15・5) 主イエスに「とどまる」ことで、神の生命と実を結ぶエネルギーが私達に注いでいる。30倍、60倍、100倍にまで実を結べる。霊的な電源(キリスト)から離れると、何も出来ない死んだ枝になる。

 † 御座という領域。
 神の御座という場所は、聖徒にとって麗しさの極みでしかない。「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです」詩84・10)神の居られるとこしえの御座とは「・・・義とさばきが御座の基である」詩97・2)ヨブは「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい」ヨブ23・3)と、心を向け、慕い求めている。御座に近づきたいという思いが、私達の信仰生活の中に生まれる事は、高い領域が開かれたことを意味する。御座は至高の栄光に満ちている所で、父なる神がおられる。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」 マタイ6・6)父の御座はあなたの近くにある。御座は、あなたの奥まった部屋に入って祈る時、隠れた所(御座)で、神はあなたを知り、見て、報いて下さる。

「領域を意識する」(5)