「領域を意識する」(3)

† 来なさい。
 イエスの招きは「私について来なさい」マタイ4・19)ということが本命である。信仰は主イエスに倣い、従う事だからである。このように主イエスについて行く信仰が、健全な私達の領域である。主イエスはご自身(神)の領域に、来なさいと招かれたことがある。「すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」マタイ14・18)
すると、イエスは「来なさい」と言われた(19)水の上に立ち、歩かれる領域は、超越的な神のものである。ペテロは賢明にも、主イエスに「お命じになってください」と言った。これがなければ、人間は神の領域に入る事が出来ないからである。この事から教えられる重要なことは、ペテロのような信仰のセンス(感覚)を、私達も持って良いことだ。もし、主イエスとの親密な交わりがあるなら、親密な会話も生まれる。「来なさい」という、主の御声を聞く事もあるのである。主に愛される子供には、限りない神からの特権があるのである。
  
 † 安全確保。
 現在の深刻な問題は、コロナ感染の拡大である。安全の領域を意識して守っていた。三年間を守られてきた、ワクチンも四回接種した。コロナがBA・5に形を変え、感染率が非常に高いことを聞かされてきた。いつもの生活の中で軽い頭痛がおこった。冷房のない暑い部屋であったが、体温は37度をこえていた。教会の牧師室に引っ越して、次の朝、抗原検査に行ったら陽性とわかった。風邪を引いたな、というのが自らの感覚で、まさかコロナに感染したとは思えなかった。翌日の朝の体温は36・5度で普通なのだが、自宅療養となると、行政の経過観察という管理下におかれる。まさに、個人としての、コロナに対する安全の領域が崩されたのである。家族が被る負担は大きく、社会と暮らしの構造を破壊した、恐ろしい見えない敵である。見えない敵は他にもいる。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」エペソ6・12)私達キリスト者しか理解できない、人間の最大の脅威である。しかし主に従う人は打ち勝てる。信仰は、見えない敵を見させるからである。

「領域を意識する」(3)