「領域を意識する」(2)

 † まことの自由奔放。
 私達は神の子供である。と言う観点から見ると、罪と世の桎梏(シッコク)からの自由が思い浮かぶ。自由とはあらゆる束縛からの解放である。奔放とは、どういうことか?一般的な意味では「思うままに振る舞う」「常規に従わないで自由である」「ほとばしること」などの意味を持つ。「・・・・あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」ヨハネ8・32)ここには、奥深い自由が宣べられていると思う。神の特権を与えられた子供としての自由と奔放さである。例えば、父親に子供がわがまま放題だが、父親が愛情深く子供を受け容れている。ほとぼしる子供の姿が好きなのである。このような情景が、天の父と、私たちの生きた交わりであり、関係である。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます」ロマ8・15)神の子供は「天のお父ちゃん」に、無邪気に走りより、振る舞う特権を持つ。私達は、まことの天の父にまとわりつく、自由奔放の領域の中におかれ、生かされている。  

† 境界線と人間。
 子供の頃、村に騒動が起こった。山の地境(杭)が不法に移動されており、その分の木材が切り出されていた。いわゆる地境のトラブルである。「『隣人の地境を移す者はのろわれる。』民はみな、アーメンと言いなさい」申命27・17)このような地境の問題は、今日では国際的な問題である。日本は竹島、尖閣諸島、北方領土に問題をもつ。ロシアの固有の領土宣言で、ウクライナは戦争を仕掛けられ、領土を奪われようとしている。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」ヤコブ4・1)人間が神の恐ろしさを認めないならば、自分のために地境を移すような事をする。欲心のために領域を守れないならば、神からの悲劇が見舞うことになる。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています」ヘブル10・30)あるべき心の領域を守ろう。自らの行動の領域を、神の御心として、実践して行こう。神を畏れつつ歩み、確実な永遠の報いを得るように生きて行こう。

「領域を意識する」(2)