入れ換わり(5)

† 神の神聖に置き換わる。
  神の質と人間の質は同じではない。私達は主なる神に圧倒的に愛されているのだが、神の質と同じになる事ではない。神の子とされる特権を持っているが、神と私には明確な「質的差」がある。この理解が「恐れとおののき」を、私の中に生みだすのである。驚くべきは神の御心である。「私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました」2ペテロ1・3) 生命と敬虔(神聖)が「主イエスの神としての御力」で、既に与えている。と宣言している。その第一は信仰なのだが「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」ヘブル12・2)「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」エペソ2・8)わかることは信仰も、神からのものなのである。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です・・・・」2コリント5・17)神の神聖(質)は虹のような七つの色彩の輝きをクリスチャン人生に加える。そのために主イエスに依り頼む生活を求められる。神の御心は、あなたを主イエスに似た人にする事であり、新しい力を 与えられた人として、生きることである。

 † ふさわしい家。
 独身生活では一部屋でも過ごせるが、家族を持つとも成れば、部屋数のある家に移り換える必要がある。また、就職や学校のために移住すると、今の環境は置き換わることになる。主イエスは「・・・・あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」ヨハネ14・2)といわれた。主が復活後に行かれる天国に「私達の場所(住まい)」を備えられている。私達は国籍を天に持つ(ピリピ3・20)だけでなく、住まいをも与えられる。その「場所」は愛に満ち、喜びと平和に満ちている「住まい」なのである。わかっている事は「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです」マタイ22・30) 私達は天の御使いのように性別に支配されず存在し、その姿にふさわしい場所へと入れ換わる。復活した幾億万の聖なる証人と共に私達は喜び歌い、永遠に御神をほめたたえるのである。

「入れ換える」(5)