「歩み出すとき」(5)

  † 新に歩みだす時。
新年の喜びは期待に心が弾んでいる。「新しい」ことを全てに適用できる幸いがあるからだ。第一に、新しい主なる神のお導きが始まった。なによりも期待して間違いのない祝福があるからだ。第二は、私の志を主なる神が、新に実現させて下さることだ。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです」ピリピ2・13)私達の中に生き続ける「志」が、新に実現されて行くのである。それは、家族の救いではないか?親しい隣人の回心への導きではないか?私達がクリスチャンとして、この「志」が新に掲げられるのである。まず、この年の初めに、最も大切だと、指し示す御言葉に従う「志」を強くしたい。第三に、さらに新に、恵みと祝福に成長しょう。私達は日々に新しくされて行く特権を持っている。停滞して留まると「死海」のように命を失う。そう成らないために「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求め・・・・」1ペテ2・2)新に、私達は霊的な命を豊かにし、神の恵みと祝福の一年とされるのである。

 † 信頼を捨て去らない。
 信仰とは「信頼する事」に他ならない。サタンは神の存在を明確に信じているが、神を信頼してはいない。神を信じていても「信頼していない」という現実を恐れる。私達が人間である限り起こりうるのである。自分でできること、即ち、習熟して持っている能力は、自然にできる力である。世の中は一人一人の能力によって集合された世界である。飛行機に乗るのも恐れず、自分で車を運転するのも恐れない。これは無意識のうちに自然で、信じなくてもできている。神に在るという私達は、神に依存しているということである。私達は全ての事を、主の御名を通して行う。危険でもなく普通の事柄でも、主の御名を通してする。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」1コリ10・31)神を信頼する人は、当たり前で自然のことでも、主の御名を崇めて行うのである。その習慣ができると、未知の事柄にも、想定外のことにも、自分の力量に勝る事柄にも、神への信頼を持って前進できる。神への信頼を決して捨てない人となる。

「歩み出すとき」(5)