「霊的センスと生活」(7)

 † センスとエッセンス。
 エッセンス、英語の《essence》は本質、最も大切な要素の「精髄」「本質的なもの」を意味する。センスは、感覚や感性のこと、才能と似た意味でもある。もう一つエッセンスは「霊的実在」「神髄」という意味を持っている。私の霊的エッセンスは、今になって使徒達の言葉(教え)であると思うようになった。その他にいろいろな霊的エッセンスというものがあると思う。神(イエス)の御声である。とか、祈りの中での悟りとか、聖霊の導きであるとか、預言の言葉とか、その他に多くがあると思われる。しかし、私は使徒達の言葉(教え)に、今まで知らないでいた、霊的エッセンスを感じるのである。基本の基本のような、当たり前に過ぎないが、やはり主イエスと寝食を共にし、主の言葉と御業の目撃者の言葉(教え)は私達に一番力強い、そして直接的な証言である。また、最も力強い聖霊の油注ぎを受けた使徒達の聖書理解は、現代の神学者を凌駕している。私は、霊的センスを身につけるべく、使徒達の教えをエッセンスとして、使徒達の信仰の確信と、喜びと希望を共有したいと思っている。

 † 混迷の時代のセンス。
 今がとても幸いだと感じる人は、このまま変わず続いてゆくと思いやすい。しかし、有頂天になっていたり、感覚が麻痺していると、取り返しのつかない逆転を招く。イソップ物語の「蟻とキリギリス」は、まさにそれである。「勝って兜の緒を締める」こそが重要である。私達は漠然と、世界に期待している事がある。それは、この世界は「末広がり」に良いことが待ち構えている。と、しかし問いただされるべきは「その根拠はなにか」と言う事である。冬に備える蟻のように、備えるセンスが必要である。世界は、聖書の言う患難時代に突入している。この時代を勝ち抜くための武具を身につけたい「邪悪な日に際して・・神のすべての武具をとりなさい。・・しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。・・信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」エペソ6・13-17)混迷の世界ゆえに、神からの武具(知恵とセンス)を身に着けたい。

「霊的センスと生活」(7)