「霊的センスと生活」(6)

 † 巧妙なメカニズム。
 メカニズム(mechanism)は、「機械装置」「機構」「仕組み」を意味するとある。その上に巧妙となると、巧みな、工夫を施した、さらなるメカニズムとなる。その驚くべき姿としての人間(私)が居る事に気が着く。昨日、人間の筋肉の働きを、専門の大学教授を交えての特別編、それこそ最新のメカニズム解析機器を通して学ぶ事が出来た。私達が何気なく歩いているが、体内では情報伝達機能が働き、様々な筋肉が連動し、歩行を支えて居る事を知った。当たり前が、巧妙なメカニズムに支えられおり、知るほどに驚嘆した。次のように結論漬けがされた。人間は幸せを、労力なくして楽をする事に代えてきた。それは筋力を退化させ、人間の精神(心)の健康も弱めるものになった。世界的統計によれば、コロナ禍で運動量が極度に低下し、うつ病が劇的な増え方を示している。霊的な健康も肉体の中に宿るのである。クリスチャンも筋肉活動を増して、より健全な霊的持久力を保ち、健全な霊的センスを維持出来ることになる。

 

 † 受容能力を養う。
 受容体と言えば、私達の体内にあって、細胞外からのシグナル分子(神経伝達物質、ホルモン、・・・・)を選択的に受容するタンパク質で細胞内にある。これは私達の生命を守るための、ハイ・センスな働きである。しかし、私はそのように生かされていながら関与不能である。しかし、意識的、感覚的な世界に於ける、受容能力は自力のうちにあって、コントロール可能である。聖書では良く「頑(かたく)な心」 マルコ16・14)への厳しい主の譴責(ケンセキ)がある。頑なな心(魂)は、自分を閉ざし、自らの受容能力を無効にすることである。これを最も警戒することがクリスチャンに求められる。神はロバの口を持って頑ななバラムに語られた。民22・28)人は「私はこれにしか興味が無い」と言う。それも良いが、主なる神の御心は広い「兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」 ビリビ4・8) 受容能力は謙遜に伴う。年齢には関係ない。常に心が開かれている事が「センスを取り込む」のである。

「霊的センスと生活」(6)