† 土の器に徹する。
世界に最大の影響力を及ぼした人物が、自らを「土の器」だというのである。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」2コリ4・7)古代においては高貴な宝飾物は土の器の上に載せられた。質素そのものと高価そのもののコントラストが強調された。極端に優遇されるもの、その反対におかれるのが土の器である。土の器は載せている宝をより際立たせる役目を担うわけである。同じ人間でも差別がある。王もおれば奴隷もいる。地上の王は支配するのに権力を用いる。使徒パウロは「測り知れない力が神のもの」であり、土の器である私達の中に「入れられている」と驚嘆している。なぜなら、世界を造り変える神の力であるからだ。私達は罪深さにおいて、聖なる神の御手で打ち砕かれ、火の中に放り込まれる価値なき「土の器」である。しかし、神の憐れみで、神の御子が十字架に私の身代わりに死なれた。今や私達(土の器)の中に御子イエスが住まわれ、いける水となって私達から流れ出ている。また、測り知れない力が「土の器」である私達から神の権威として、神の慈しみと憐れみとして現れるのである。