† 人間の目には不可解。
「私は奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを見た」伝道10・7)この情景は知者であるソロモンにも奇異に思えた。この世に起こる悪の一種だと言う。この世の君(サタン)の支配の中では、このような不遇は、当たり前の世界なのだと考えた方が良い。オートマチックに人格者が優遇される世界ではないのである。
「この世に引き出されたいならば、目立つことをしなければならない。現場では、目立つ服装をして監督の目に留まるようにし、人一倍働くことである。そうすれば監督の印象に残り、新しい仕事を任せられるようになる」というアメリカ版の話を思い出す。現実の世界は、愚か者が非常に高い位に就いていたりする。裕福なナバル(1サムエル25章)は高慢な愚か者であった。流浪の王ダビデと部下は、ナバルの下僕たちの難儀を誠実を尽くして助けた。ダビデ王は謙遜を示し部下をナバルの許に表敬訪問をさせたが、ナバルは酷(ヒド)い侮辱を加えて追い返した。神と伴なるダビデ王が、ナバルの一族の聖絶に歩を進めたとき、聡明なナバルの妻が身を挺(テイ)してひれ伏し、赦しを求め釈明をした。ダビデ王゙は血を流す不遇の状況から、この上ない神に優遇される状況に変えられたのであった。まさに、不遇に終わらせない神の摂理(干渉)があることを教えるのである。