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牧師の想い

牧師の想い - 20200209のエントリ

「うしろから前」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/2/9 1:00
 † うしろを守られる。   
  「あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ」イザヤ52・12)私達人間には、うしろがある。一番無防備になりやすい「うしろ」と言う意味でもあるし、前に向かって生きている私達の見えていない背後でもある。
私達は現実的な生活の場において、主なる神の御手の中にある事を確信するための御言葉である。前にもうしろにも護りがある事を信じる事が信仰である。聖書にはエジプトによる捕囚化(奴隷)とバビロンによる捕囚が記されている。現在の人類も「罪の奴隷」として捕囚なのである。そして今や主イエスの救いを通して「私たちは、神の中に生き、動き、また存在している・・・・」使徒17・28)さらに次の重要な意味を理解したい。私達が最終の死の谷を渡るときにも、主は前にあり、しんがりとなってあなたを護られる。恐れなく天の御国に運ばれるのだ。この御言葉を自分に結びつけて安心を得よ。

 † 祝福の現れる所。
 見える、見えないにかかわらず祝福は、今現れて確認出来るものである。誰かに指摘されて祝福されていることに気がつくこともある。一心不乱に生きてきて、祝福に気がつくということが幸せの形だと教えられたことがある。こうしてみると幸せ(祝福)は初めからあるものではないのではないか? 長い年月を通して築かれるものではないのか? ハッピーな出来事は結婚することによって成就しない。二人は夫婦として心一つにして神を畏れ、誠実な生き方を選ぶ事によって、知らないうちに神の祝福の中を生きるのである。まず現実的な生活の要は経済(お金)の認識である。神への捧げ物を惜しんで自己浪費のために取っておく様な習慣を作ると、主なる神からの経済的祝福が欠損してしまう。これは間違いのない事で,見えない神は私達の誠実な献げ物をとおして「報い」として祝福を下さるのである。この事実は世界共通である。種まきをしないで収穫はないように、普段から良きにつけ、悪しきにつけ神に従い、神を畏れて誠実に生きることである。このような「うしろ」の生活が、種まきである。必ず、主なる神は、報いて祝福を下さるのである。
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