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牧師の想い

牧師の想い - 201911のエントリ

「焦点を合わせる」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/11/24 1:10
 † 流れに委せる。   
 時の流れに身を任せるのでは焦点とはならない。流れとは上から下に流れる水のように不動の真理の流れに委せるということである。使徒パウロを通して福音の神髄とも言うべき信仰の義について考えた。分かち合えたことは教えとしての教理ではなく、神の憐れみの奥深さであり、その愛であった。これこそが圧倒的な流れである。私達は神に奉仕することを目的とするのではなく、神の愛を体験する事を目的とすることなのである。真の神への信頼はそこから生まれる。だからこそ主なる神のお働きがある。人間は主イエスを信頼するよりは、何かをする方が易しく出来る。聖書を流れている愛の命は変わらないが、その流れの中に生きて存在してゆく事のためには、しっかりと目を開いて流れの中に自らを委ねる事が大切なのである。それが生きた焦点となるのだから。

 † 定まった心。
 「神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます」詩57・7口語訳)まさに心が焦点を掴み定まったのである。ダビデがサウルに命を狙われ洞窟にいたとき、とある。このような危機の時に、試練が続く中に「私は獅子の中にいる」4節)と。これを私達の毎日に合わせて考えよう。いろいろな悩みや苦しみがあり、終わることのない試練の中にいるとしょう。ダビデの実感している事を考えよう。ダビデのしたことは、必死に神を呼び求め「全てを成し遂げて下さる神に」身を避けたことだ。そして、そのダビデの信頼にこたえて、神の平安が天から舞い降りてきたのである。危機の中で試練の中で主なる神のお働きが成されるのである。私達にも出来る事がある。主イエスに憐れみを求めること。そしてダビデのように宣言出来る事「神よ。私の心は定まりました。私の心は定まりました」と、主なる神を誉め称えて歌うことである。私達は誰でもダビデのようになることを求められている。この偉大な焦点を握ろう。
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「焦点を合わせる」(6)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/11/17 1:10
 † 聞く力を増し加える。
  聞く力は私達クリスチャンには必須の能力である。主なる神が「聴け。」と言われるのであるから、私達が御言葉の解き明しを聞き取れないならば、神の国は命を失い、低迷してしまうのである。「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」ロマ10・17)聞く能力は、いかにして増し加わるか?と言う事である。例えば、ある事柄について聞いた時、自分の中に体験していたり、知っている事や、教えられたこと、学んだことがあると俄然、聞いたことが聞き取れる。それが自分の事柄として受け取れるのである。そうなるための最も身近なものは「読む」と言う事である。私達ならば聖書が読めるわけだ。そこには知識の海原がある。世界を治める主なる神を知る事になる。するとさらなる興味が湧いてくる、それは喜びであって、多くを知りたい読書に繋がる。学校で学ぶ全ての知識も、読む力に負っているように、読む力が聞くこと、書くことに先んじるのである。このことに焦点を持つことである。 

 † 多くの中の一つ。   
 つい最近のことだが棄てきれないでいたフロッピーデスク(3.5)のほとんどを廃棄した。かっての貴重なデーターが記録されていたものである。これをハードデスクにコピーしてのことだが棄てると云うことには決断が要った。古いものに愛着を感じるものにとってはなおさらだが、お世話になった物を捨てる事はなかなか出来ない。自分の手に馴染んだ道具で仕事をし生きてきたならば、そんな道具を簡単には棄てきれるものではない。現代は消費文化の中で新しい物への嗜好(しこう)が強い。次々と生みだされる新商品に憧れるのだ。買い換えてゆくべきものもあるし、変えなくても良いものも多くある。そういう自分も新商品には興味がある。特に新しい安全機能を備えた自動車とか、高機能といわれるものに目が行く。そのような様々の中で、私にとって揺るぎない一つは何か?それは「静まり考えて祈る事」である。欲望に委せて動かされない自由が生まれる。そうすると手にしているものが、まだまだ自分にふさわしいことに気づくのである。まだまだ有用であり、もうしばらく待ち続けるゆとりが生まれるのである。
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「焦点を合わせる」(5)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/11/10 1:50
 † 喜びの源。   
 「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む」イザヤ12・3)私達の生涯(人生)の喜びについて、はっきりと教えてくれる御言葉である。何を喜びとするか、が人生を決する。世の中は人間に喜びを提供する事に躍起になっている。人間が喜びを求め、喜びに生きる事を知っているので虜(とりこ)にしたいのである。あまたの娯楽によって人間を捕らえるのがこの世である。問題なのは人間は更に喜びに刺激を求めるということである。それを知って世の中は刺激の度を増してゆくのである。クリスチャンが一番注意しなければならないことは、主イエスが至高の喜びとなっているか?ということである。「主を喜ぶことはあなたがたの力だからだ」ネヘミヤ8・10(2017新改訳) この実体なしに信仰があるならば焦点が大きく狂っているのだ。多くのクリスチャンの間で、主イエスが、救いの泉であり、喜びに満ちてその水を汲む事がない。ことである。言葉上の御言葉としてではなく、主イエスを現実の喜びとして体験する信仰を持つことである。あなたの力は神の力となる、それは主を喜ぶこと。これを求める事を焦点にすべきだと思う。
 † 極論か真理か?
 標準と言うことを考える時に浮かび上がることだが、自分の見る(考える)位置によって相当な開きが生まれてくる。世の中の一般的な基準ですら幾らでもあるように、自分の立位置からの標準が生きていると思うのである。例えば、ある人が許容している事が、自分は許容しない立場を取れば標準とする内容が違ってくる。その違いによっても焦点とするところが変わってくる。私が「焦点を合わせる」ことについて書いたとしても大多数の同意を得るとは限らない。多分、厳しすぎると思われる。あるいは極論だと思われるのだ。一人一人が自分の標準を持っているからである。標準以上の事柄や示唆に対しては強要されているようで受け入れ難いのである。しかしながら、私達はクリスチャンなので聖書の指針(真理)を肯定している。その立場からだと自分の標準を固持して歩むことは、聖書との食い違いを生むことになる。聖書の真理を追究し、実生活に即して焦点を絞り理解を求めたいのである。真理は永遠の焦点であるが、ただ思える事は人間の標準が中心である場合に、真理は極論としか思われない、ということである。
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 「焦点を合わせる」(4)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/11/3 1:00
 † 栄光を現す。   
 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」1コリ6・20)自分のからだをもって、と言われている。具体的にからだは内面を現すと言う意味で「からだで現せ」と言うのである。言葉にしてもからだから出てくるし、自分の願うところもからだ(表情)に現れるのである。昭和と平成にかけての大衆伝道者の第一人者、本田弘慈師は主イエスに豊かに用いられた器である。文字通り師が語ると聖霊が伴い罪人の悔い改めが起こったのである。ある時、本田先生はどうして用いられる牧師であり伝道師になれたかについて教えてくださった。そして一冊の本を紹介された。パゼット・ウイルクス著「救霊の動力」である。先生は恩師の著書に、自分の全てがある。と言われた。なるほど著者はオックスフォード大学の文化系の優待生だったが一切を主イエスに捧げて生涯を日本に捧げられた方である。いま読んでもまさに救霊の力が与えられる。その一節「感化は力ではない。感化は人を自らに引きつける。神の力は人々を神に引きつける」と、私達、証し人(救霊者)が神の力を語れるなら人々は神に引きよせられる。ここに焦点がある。

 † 神の下に残るもの。 
 私達の真価とは何であろう?上掲の「救霊の動力」の中で述べている。「私達が誤りの無い光りを持っているのでなければ、導いている魂に簡単に欺かれてしまうのである。・・・・救霊者(証し人)の最も大切なことは御言葉を学ぶ事、聖書の完全な霊感についての信仰がなければならない。私自身の経験から言えば、聖書の完全な霊感を信じない人で、成功ある救霊者だと言う人に会ったことはない。・・・・どんなに卓越した人格を持ち、強い意志を持ち、豊かな教養を有する人を知っているが、彼らはその働きにおいて人を感化してこれを引きつけることはできる。しかし、彼が去った後には人々は散ってしまい世に迷い込むのである」と、私達クリスチャンは善い人になる以上のことは、神を神として完全に信じる信仰である。その確信が人々を神に結びつけるのである。聖書を忠実に研究し学ぶことによって、神を十全に確信できて、私達の生活が神の力によるものとなる。この度、エリクソン著「キリスト教教理入門」をお勧めしたが、力ある者になりたい人は購入されるべきである。祈り導いている魂が神の力によって神に結びつくこと。ここに焦点を持ち続けよう。
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