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牧師の想い

牧師の想い - 201908のエントリ

「繰り返し繰り返す」(1)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/8/25 1:10
 † 繰り返しの驚異。   
 私が独身で働いていた作業所には、色んな人が訪れてきた。私達の仕事が生活に密着した木工製品を作っていたからだ。また、ある時は家に出かけて修理などをする事も多く、地域の方々と親しい間柄が出来ていたからだ。ある日、ちょくちょく顔を出されて世間話をしてくれるお年寄りが来られた。とんちの効いた賢い方で次のように話された。「人間一生の間に食べる飯(マンマ)は茶わんで列べると3,6里になる」1万4千400メートル(ご飯茶わん10センチ)で一日五杯の計算で80年間とした場合だ。昔は今よりもっとご飯の摂取量が多かったので不思議はないが、聞いた時にはギョッとした覚えがある。そんなにもなるのか、と言う驚きであった。当たり前のように食べていることへの不思議、全ての人に(飢餓にある多くの人がいるが)主なる神は「太陽を昇らせ雨を降らせられる」マタイ5・45)ように私達に最も必要なパン(食)を与えておられる。私の一生のためになんと驚くべき恵み、祝福であろう。これを図式化し、数値化すると脅威でしかない。

 † 三度目の正直。
 これは大学受験合格のことではない。三度目くらい繰り返して「わかる・ものになる」という意味で捉えたい。小説とは違い牧師が学ばなければならない本は一回読みではものにならない。下線を引く程に重要であっても脳裏に残らない。それは私だけのことなのだろうが、著名な学者が言うのには、一回目はパラパラとめくって読む、二回目には普通に読む、三回目には徹底的に活用的に読むのだそうだ。確かに、それくらいくりかえして読んで自分の本になると言うことだ。それと同じくらい実際的なのは、とにかく何回も繰り返して同じ所を開いてみると理解したことと自分がようやく一体となると言う事が私流である。600頁に及ぶような学問書は三年がかり以上、開き続けないと大切な事柄をつかみを損なう。また、そうすることによって何がどこに書いてあったか記憶が生まれる。三度目の正直は、本を読解するためにも当てはまるのだ。ドナルド・キーン氏が言われた言葉を自分にも当てはめる「読むことも書くことも出来なくなった時が私の終わりである」キーン氏のその時は90才だった。
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「引き出される」(7)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/8/18 1:00
† 必要な対価。   
 五億円の宝くじに当たった人は、運が良い人だ。しかし考えてみれば宝くじを買うという行為と、その対価を支払われたわけである。いまだ宝くじを買ったことのない私には絶対に起こりえないことである。五億円とか七億円の宝くじに預かるためには、相当量の対価と何回かの挑戦をとおして引き当てたのではないかと思う。聖書は私たちに「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」ロマ12・11)と勧める。私たちの勤勉(熱心さ)とは「[真剣な努力]において決して人後に落ちてはいけない」という内容が原意である。クリスチャンはキリストを体験し、神を知るためには真剣な努力という対価が必要なのである。地上の生活と能力の向上のために人は惜しみない努力をする。たなぼた的に天からよいものが落ちてくるわけはないのだ。同じように真剣な努力を神の真理に傾けよというわけである。主なる神が私たちに与えた偉大な恵み、福音の真理に対する私たちの「真剣な努力」こそ至上の喜びをもたらし、この地上に神の国を引き出してくるのである。個々のクリスチャンが成すべきことと心得たい。

† 神の国は患難に勝つ。
 「・・・・私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。使徒14・22)それには理由がある。神の国とは、神が肉体となってこの世に来られ、神の御業(十字架と復活)を成されたことである。即ち、サタンの支配する世界に、割り込んでこられたのである。当然として、神の国(神の支配と領域)にサタンのあらゆる攻撃があっても何の不思議もない。私たちが、このサタンの攻撃や患難に打ち勝つように主なる神は、聖霊なる神を私たちに遣わされた。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」 1コリ6・19)三位一体の神「聖霊なる神」が私たちの愛となり力となってサタンに打ち勝たれる。患難はあるが、主なる神はヨセフを「あらゆる患難から彼を救い出しエジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました」使徒7・10)このように世に打ち勝たれた主イエスは私たちに神の国の勝利を与えられる。互いに勇敢に戦おう。ヨハネ16・33
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「引き出される」(6)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/8/11 1:00
† 命を引き出す水。   
 「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩1・3節) 真夏の日照りが35度以上で12日以上も続く今年、まさに水路の重要さが身にしみる。鉢やプランターに植わっている草花や野菜それに木は毎朝大量の水を注いでいる。ミッションセンター「アーク」の西には通路の両側に芝生が植えてある。片方は電柱移設工事で荒らされ芝生がほぼ失われた。それを復活させる作戦を昨年から始めた。芝生の際に田んぼの排水路が設けられていて、田植えと同時に8月下旬まで田んぼの排水がなみなみと流れている。雨期は関係ないが猛暑と日照りが続く今こそ水路から無料で惜しみなく水をくみ上げて芝生の上に播くのである。芝生がほとんどないような場所に2年目で芝が根を張り80%まで緑が増えてきた。水はいのちと直結しているように、主イエスも言われる「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」ヨハネ14・4)主イエスが与えられる生命の水を惜しみなく飲む人は、多くの幸いを得ること間違いなし。

† 高嶺を目指す人。
 絶対に私には無理だと確信できる。それは山岳登山である。切り立った垂直の岩肌に鋲(ビョウ)を打ち込みながら昇って行く、しかも下は千尋(センジン)の谷。テレビで見たのは、二人が4000メートル級の冬山登頂記録だった、出来る人はすごいなの一言だ。この方々の勇気と技術(賜物)に称賛あるのみだ。あり得ないことをやってのける人を見ると、私の目指す高嶺とはなんだろう?人類共通の目指すべき高嶺とはなんだろう?と思う。目に見える高嶺ではなく、ここにまで来いと言われているような高嶺に違いない。覇権的な戦いを勝ち抜いて高嶺に達することだとすれば、人類共通とはならないので、そういう競走的なものでは無い。学歴や業績に関係がなく貧富の差にも影響されないで、求められるべき高嶺であるべきもの。登山家のように命を賭(ト)してまでも挑戦できる魅力に満ちたもの。・・・・私は確信する。「主イエス」の 魅力に引きよせられ、主イエスを知り、主イエスに全てを満たされることがこの世にあって高嶺である。なお、それ以上の完全が延長線上にある。最高の高嶺は完全に直接に神を知る。誰の教えや解説を要しない、直接に神ご自身が私の全てとなるからだ。これが至高の高嶺である。
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「引き出される」(5)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/8/4 1:10
† 必然的自然現象。   
 今年は梅雨明けと同時に酷暑となった。外に出るだけで汗が噴き出てくる。ティ(T)シャツ全体が汗ばむ。夏にサウナに入ると日中の発汗が多いようにも感じるのだが、良い汗は、汗の出始めるタイミングが早いので体温の上昇も少なく、心拍数の増加も軽減できるそうである。ベタッとした汗ではなくサラッとした汗が好ましいわけである。多くの汗をかくと云うことは塩分も多く排出することなので熱中症に気をつけなければならない。こういった身体の自然現象は、霊的な生活にも同じである事を学ばさせられる。主なる神は人間共通の法則を適用されるのだ。「自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る」箴言13・3)私達の心が「愛と力と慎みの霊」を宿しているならば、大言壮語などしないのである。「主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ」箴言15・33)最も重要な謙遜は、真実に神を畏れる事を学んだ褒章として与えられるものである。それは必ず栄誉に結ばれる事が法則である。主なる神の恵みと祝福は、主の御心の法則として引き出されるようになっている。

† 初めに立ち返り改革される。
 世界の巨大な経済の流れ、国際間の問題の複雑さは生きている私達に大きな影響力を持っている。これには産業界も関わっているわけで、上手く行かない複雑な問題に取り囲まれることになる。そういう時にどうしたらよいのか?何か新しい方法があるのか?世の中の叡智が必死に考える時となる。このような事態に常に功を奏する方法があるそうだ。元に帰ること、正道に引き返すことだという。このように引き返すことによって大改革が起こされる、と言う事である。東大の学生で起業し社長をしている秀才が質問された。「どうしたら数学が出来るようになるか?」それに対して「 数学は足し算、引き算、かけ算の延長だから、わからなくなったら、わかるところまで引き返して、その周辺を思いだして行けば良い」引き返すこと、元に戻ることが成功を引き出して行く事なのだ。教会も同じ事を言われている「あなたは初めの愛から離れてしまった」黙2・4)教会がキリストの教会でなくなる事が起こる。私達は絶えず聖書の正道に立ち帰り、改革されて成功的に歩みたい。
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