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牧師の想い

牧師の想い - 「強さ弱さを持つ」(6)

「強さ弱さを持つ」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2021/3/21 1:30
 † 完全な強さを持つ。
 信仰は信頼である。信頼の完成形は、全き依存である。子供から高齢者まで、信仰の内容は同じであって、主イエス(メシヤ)に全き信頼する事である。依存という言葉には、薬物依存とかアルコール依存症というような悪い印象が社会的に定着しているので、依存ということが病的に理解されやすい。何故かというと、人々は不完全なものに依存するので、病的な依存となるからである。罪人である人間は、本当の満足を持っていないので、快楽に依存して満足を得ようとする。また、心の虚しさを埋めるために薬物に依存するのである。また、世の名誉や評判に依存して生きる人もいる。しかし、聖書の神に依存する事は病的にはならない。私達が依存(信頼)する神が完全だからである。聖書は神に全き依存し生きる事が、人間の当然の生き方であることを証言している書である。エリサベツはマリヤの訪問を受け「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう」ルカ1・45)と、語ったことは現代でも真実である。「信じ切った人」が一番強く、幸せな人である。

 † 神の目の中に。
 私の長い信仰生活の中で、何が知恵として益をもたらしたのか?と考える。知恵とは、何事においても潜(クグ)るフイルターの役割をする。まず、御言葉に徹すること、神の心に従う事である。「あなたの道を主に委ねよ」詩37・5)「あなたの重荷を主に委ねよ」詩55・22)「あなたの行くところどこにおいても主を認めよ」箴3・6)これを3本柱として心に留めて生きる事を知恵とした。様々な判断や決断をする時に「主に委ねる」ことにする。信仰のない人との利害が絡む様な場面で、不当を被っても、そこに主を認めて受け入れることを知恵とする。一貫していることは、神に任せることであった。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」ロマ8・28)神様の心は、人間の思惑や賢いやり方をはるかに超えている。当座は、軽くあしらわれて不利益を被っていても、神の目の中に生きる者のために、全てのことを働かせて益とし「あなたの裁きを真昼のように輝かされる」箴37・6
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