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牧師の想い - 「強さ弱さを持つ」(5)

「強さ弱さを持つ」(5)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2021/3/14 2:00
 † 喜びを与えられた人。
 強さを持っている人。それは喜びを与えられた人である。「あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています」詩4・7)この4篇の中にはこういう言葉もある「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか』」4・5)このように人間は心に満足を持たないので、欲望を追求するのだ。と学者は言う。私は詩篇第4篇に、多くを教えられている。8節「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」ハレルヤ! 心に喜びを与えられ、安らかに住まわせて下さる。喧騒極まりない世にあって、安住し、喜びに満ち、一切の思い煩いから解放されて、すぐに眠りにつける人。この人の強さの秘訣は「与えられるもの」を、真っ正面に受け入れたことである。言葉を代えるならば、自分の全てを棄てて、さらに優れた神の御心に従い、恵みを受け入れ祝福を現実に体験している事にある。特殊な人がそうなるのではない。誰でも実際的に神を信頼して、神に任せる人が喜びを与えられ、強さを持つ人になるのである。

 † 自分を隠さない人。
 聖書の特質は「あからさま」であることにある。主なる神は人間が反逆者であり、罪人で弱いものである事を当然としておられる。それで、神の前に生きるのに強さを背負って生きる必要はない。私達はダビデが油注がれ、神に愛された王で、神の聖徒だと信じている。しかし、ダビデの祈りである詩篇に目を通すと、彼は必死に、すがるように、あたかも幼子の様に敵からの守り、生命の守り、孤独からの救い、恥をかくことのない祈りetc。弱い者として神の前に出ているのである。現代の私達はどうか,まず第一にそれほどに祈らない? 自分の弱さを恥じてイエス様にも語らない? ましてや自分の弱さを人にも見せない?etc。私の幸いな体験から言うと、自分のあきれるほどの弱さを、主イエスに広げて見せた時に圧倒的な神の愛の中に引き入れられた。ダビデはさらなる神の愛を体験した人であるから、いよいよ自分の全てを打ち広げて、神の憐れみと慈しみを求めたのである。そうできることが祝福に繋がると思う。 
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