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牧師の想い

牧師の想い - 「強さ弱さを持つ」(3)

「強さ弱さを持つ」(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2021/2/28 1:00
 † 最強を思う。
 2月23日(2021年)101才を目の前にして、私の義母が天に召された。受洗は昨年の11月で、母が外出を赦された最後の時で、母の友達15名ほどが集まった中でおこなわれた。葬儀は田舎の家で家族葬として20名ほどの中、キリスト教式で行った。この母の長い人生を通して、人々に蒔いた行いの数々が、家族以外の多くの人によって証しされた。母がクリスチャンになったことは、なぜに偉大なのか考えさせられた。「また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」默14・13)母の蒔いた行いが、天国について行く。もし主にあって死んでいないのなら、行いは「ついて行かない」とされると思われるからである。私達の行いが天に通じるものであり、その質が高く、その量が多いならば、その人は主イエスから高い評価を得、真に賢く、真に強い人となる。霊に蒔く私達になろう。(ガラ6・8)
 
† 弱さに同情する。
 私達は神を知り、真理を知る特権に生かされている。神を知らない人々の、世の光りになる事を求められている。一般的には、人々は、いろいろな環境に準じて、その場所で長く暮らさなければならい宿命がある。まさに、主イエスが神の国を持ち込まれたこの世界は、千差万別の国々と多様な文化である。主イエスは神を離れた人々が、偶像を拝み、人間の創る好ましい理想の、ただ中に来られたのである。私達はそのような人々に、救いの福音を証詞するのである。日本人の弱さとは、無知や宗教的習慣を文化としていること見なすならば、福音を日本人に寄り添わせることは可能である。「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである」 ヘブル4・15)日本人の弱さに同情できるなら、福音を伝える機会は広がって行く。私達が神の愛のゆえに、全く異質な人々を、そのまま理解し受け入れ尊敬して行くのである。すると、神の愛が私達に生まれるのである。
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