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牧師の想い

牧師の想い - 「強さ弱さを持つ」(2)

「強さ弱さを持つ」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2021/2/21 1:00
 † 既に植えられている。
 聖書を読んでいて、なるほどと思わせられることが多い。その内容が人生で体験ずみだからだ。非常に強いものとして現れてくるものが「いばらとあざみ」である。「・・・・土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない」創世記3・9)種ををまかないのに、自然に生え出てくる強力な雑草である。いかにも、人間の堕落が招いた結果なのだと聖書は語る。「・・・・土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない」創世3・17)これは、どうしょうもないこととして、人間を悩ましている。これは私達への挑戦的な力である。例えば、国道の雑草のために莫大な経費を計上しなければならない。線路脇に生え出る雑草の勢いには驚く、遂に昨年は枯葉剤が噴霧された。今も真っ黒なかたまりのようになって放置されている。私達の内にも雑草の種がある「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します」マタイ15・18)この雑草の力を無力にする、主イエスの血潮が私達に備えられている。
 
† 育んで強くなる。
今年も楽しみの一つは、プロ野球の開催である。今、各球団は沖縄など暖かな地域で、トレーニングに余念がない。若い選手の台頭がいかにも楽しみである。選ばれた選手といえども、育てられないと一軍で活躍することは出来ない。良いコーチに指導してもらうこと、それと努力に努力を傾けることがプロとなる事である。私達はそういう厳しさの中にいないかも知れない。しかし、共通するところは多い。私達は神から愛されている特別な存在である。それは神の注いで下さっている恵みを受けているからだ。私達はその恵みの豊かさを育み、大輪の花として咲かせる務めがあるが、自然には成らない。まず、恵みの生命について学ばなければならない。訓練を通して学ぶこともしなければならない。「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」ピリピ4・11)使徒パウロが学んだようにである。信仰を通して、人生の知恵を学び、神の愛と御言葉を、真の生きる技術として行く、それが育まれて行くと、満ち足りる境遇に達するのである。
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