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牧師の想い

牧師の想い - 「強さ弱さを持つ」(1)

「強さ弱さを持つ」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2021/2/14 1:00
 † 人間の自然。
 私達は、人を外面から見たり、その人の内面を見ようとする。人はどちらも、持ち合わせているからで、やむおえない。やはり人として好く見てもらいたいし、良く思ってもらいたいのは当たり前である。それで外面の部分をだいじにする。身なりが良い、清潔感がある、と言うことは人に誤解を与えない良いことなのである。しかし、私達は心に問題を抱えると、外側の表情や、立ち居振る舞いに現れてくるのである。それは悪いことではない、私達の様に交わりを重んじる世界では、愛の気づきが生まれ、問題解決のために励ましと祈りが生まれてくる。聖書によれば、外面を繕(ツクロ)うことが強さではなく、たび重なる試練や悩みをとおして、神を信頼し内なる人が強くなる事を重要なこととしている。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」詩119・71)人の内面においては、いつも見えざる革命が起こっている。その体験が外に顕(アラワ)れる、その人は気づかないのだが、輝きを放っており、香りがただよっているのである。
 
† 集めるものはなにか。
 就職シーズンをむかえている。世の中には大儲けをしている企業もあれば、時の流れで業績が上がらない企業もある。しかし、あらゆる企業の働きが必要なのである。専門性が互いに支え合うことが良い社会の原則だと思う。企業が求める新しい人材とは、ふさわしい能力である。性格が善い人が必ずしも求められていない。専門性があり、能力があること。しかし、人間性が第一に求められる職場もある。これも求められる能力である。さて、神が集められる人々を「コイノニア(教会)」という、まじわり、共有という意味である。特長は、第一に、人間の能力を求めていない。尊卑(ソンピ)も関係なく、年齢にも関係ない。神は人間の能力を求めるのではなく、逆に神ご自身の偉大な能力を与えることである。コイノニアに集められる人は、能力がないことを認めた人が集められる。自分には罪過を消し去る能力がないと認める人。死に打ち勝つ能力を持たない人。永遠に生きる能力を知らない人である。また、幸せに生きる能力がないと思う人も「私のところに来なさい」マタイ11・28)と招いて下さる。
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