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牧師の想い - 「偉大な価値を現す」(6)

「偉大な価値を現す」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/10/25 1:00
 † 神を体験する。
 最近の本で励まされたのは、私と同年の加藤一二三さんの「だから私は神を信じる」である。神武以来の天才棋士として、最高峰のA級8段に昇級され、最年長勝利記録・至上最多対局数を記録されている。一二三さんは、キリストを信じて50年になられる。神を信じるとは「だから私は・・・・信じる」と言われるように、れっきとした証拠(出来事)があって信じておられるのである。これは、神が生きておられる事によって、信じる者は神を体験出来るという事を意味している。一二三さんのような有名人であれ、平凡な私の様であれ、神には変わりなく、誰にでもご自身を体験させて下さるのである。2千年前も、今の時代も変わることなく、正直に誠実に求める者には、神も出向いて会って下さるのである。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。・・・・」ヤコブ4・8)このように神体験は開かれている。そのためには、自分の生き様を清くし、罪を悔い改めよう。この世で、神を体験しないで生きる事、死ぬことは、最も悲しむべき事とされるのである。

 † 身近な偉大さ。
  「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」マタイ10・42)私達は、各自どのような立場に立つか自分で決めるのである。キリストの弟子として立つか、自己実現のために立つかの二つだろう。ここでは、キリストの弟子として立つ、クリスチャンのことが言われている。弟子とは、キリストが十字架に死なれたように、自らも十字架に死んで、福音のために、神の愛を現すために生きる者である。主イエスは言われるのは、そのように生きる者は、私の分身である。最も小さな者も私の分身であって:、誰かが水一杯でも飲ませるなら、私に飲ませたのであり、その人に報いを必ず与える。と言われている。キリストの弟子に善を施すことが、大であれ、小であれ、主イエスご自身につながっており、決して忘れられることなく報われるのである。宣教のために従事するキリストの弟子達を、教会は励まし、愛の施しを持って支えることだ。主イエスの報いが必ずある。
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